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中庸の徳

宋代の資料によく「両端を持す」という表現が出て来る。朋党関係でよく見かける文字で、意味内容は、両者の意見の間を取る、もしくは、意見を異にする両者の間を行き来すること。もちろん「両端を持す」は批判のために用いられる言葉で、「派閥間で対立の激しいこの時期、あの人は両端を持して立派だ」とはならない。「この問題についてはこうしなければならない。それなのにあいつは両端を持して様子見を決め込んでいる。あいつは小人だから罷免せよ!」となる。

両者の間を取るやり方は、ややもすれば褒められがちだ。しかし道徳主義的立場に立脚する限り、もっとも見識の低い、もっとも勇気のない、もっとも卑劣な、もっとも有害な、そういう最悪な人間のとる態度と見なされる。当たり前のことで、正しいことをするのが正しい人間のあり方なのに、正しくないと知りながら、一時しのぎで(これを苟且という)正しくないことを取り混ぜるからだ。ちなみにこの一時しのぎを「苟且」とか「因循(先例主義)」とよび、両端を持すの反対にあるのが「是是非非」になる。

したがって、どちらかの説を固守すれば批判されそうな融和ムードの場合は、両端を持すやり方が賢いし、逆に世の風潮がコワモテの場合は、是是非非でやったほうが受けがよい。その場その場でやり方を変えるのが最も賢いやり方と言えるだろう。

......と聞いて、もし憤る人がいるなら、その人は両端を持してはいけない。何事に関しても是是非非を人と争って、とげとげしい人生を歩むしかない。自分の都合のいいときだけ是是非非で行い、不都合になると知らぬ顔を決め込んで両端を持す、こういう人をかつて小人とよんだのだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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