スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雑記

1.数

数は不思議なもので、何か知らん人に特別な意味を与える。孔子の七十二弟子といわれて、本当に七十二人の高弟がいたと思う人はいないだろう。七十二という数に特別な意味を込めて、むりに七十二という数に合わせたと考えるのが普通だ。これが七十二でなく、七十三でも、三十八でも、実質的な意味からすると問題はないはずだ。孔子の七十二弟子の中、活動実績の残る人間はほとんどいないのだから。ところが七十二だとか、十二だとか、九とか、そういうどうでもいい数の概念に囚われ、そういう数に当てはまっていた方が価値があるように感じる。つまらないものだが、人間の避けがたい習性なのかもしれない。かくいう私も数の呪縛に捕らわれるときがある。


2.孔子の弟子

孔子の弟子というと、『論語』『孔子家語』そして『史記』孔子弟子列伝が有名だが、もう一つ『大戴礼(だたいらい)』に衛将軍文子という篇があり、そこにも一連の論評が載っている。ただし大戴礼の方は、子貢(孔子の弟子)の口を借りての論評なので、前三者とは少し性質を異にするが、孔子学校の人物評という意味では、似たり寄ったりのものだ。もっとも大戴礼に珍しい言葉はなく、よく知られた評価が載っているにすぎないので、勇み調べてみても期待はずれになるだろう。

それはともかく、日本には大戴礼のいい訳本がなくて困る。いちおう明治書院の『新釈漢文大系』に収録されてはいるが、あまりお勧めできない。なにせ原文にない文字や表現や解釈を「通釈」に加えているからだ。その方が便利だと思ったのだろうが、そのお陰で解釈として妥当性を欠くと思われるところが少なくない。訳者は翻訳を業とする人ではないので、原文をどうやって理解可能な日本語に移し替えるかという努力をはじめから放棄しているように見える。

では普通の人はどうやって大戴礼を読めばいいのだろうか?一言でいうと、諦めるしかない。大戴礼の一つが読めないからといって、人生の損失にはならない。そもそも旧時代の中国だって、大戴礼は読まれていなかった。だから現在の大戴礼は半分ほど欠落しているのだ。その程度の本なのだ。


3.礼

おおむかしwikiの礼記の項に手を加えたことがある。その後、さぞや加筆修正されたことだろうと思っていたが、意外にも当時のままだった。古典系のものにはこの手のいい加減な記事がそのまま残っていることが多い。これも日本の風土なのだろう。

礼というと、むかしから日本では評判がよくない。かくいう私も嫌いだった。しかし儒学関係のことを研究したからか、それとも単純に私がへそ曲がりだからか、あるいは私の尊敬する劉敞先生が礼を重視していたからか、後々には礼は重要だと思うようになった。

なにが重要かと言われても困るが、おそらく人間の生(なま)の情念を否定して、規範を先に作っておいて、情念そのものを規範に当てはめようとするところだと思う。多くの人はそこに不快感を示し、欺瞞性を指摘するのだが、ひとたび礼に価値を感じると、不思議なもので、むしろ規範に情念を当てはめることそのものが正しく見えてくるし、感じもしてくる。

なにをするにせよ、人間は踏み出す第一歩が大事だ。正反対の道に一歩を進めたら、直すのは至難の業だ。一歩を戻すのは難しくない。しかし戻した先の一歩から、どの道に一歩を踏み直すのか、これが難しいのだ。人間は一度でもなにかを経験すると、なかったことにはできない。色のついた自分を別の色に染めなおすのは、そうとうの苦痛を伴う。

しかしそういう苦痛を践み分けた人の発言には、それなりの重みを感じる。順風満帆とまではいかずとも、それなりに上手く人生を歩んだ人は、真偽が見分けにくい。優れているが故にそうなのか、あるいは運がよかったので、ただ上品な人間に見えるだけなのか。......って、礼と全然関係のない話になってしまった。


4.法家の潔さ

法家に名を連ねる人々は潔い。ただ世の多くの人々の感性に反するというだけで、自己の所信に忠であることだけは確かだ。これあるが故に私は若いころ法家の人々に引かれた。もちろん法家というのは、現在いうところの法律家ではなく、諸子百家の一つの法家ね。


5.難解鍵語

Googleさん家のbotがよく訪ねてくるというので、最近は楽しくなってちょくちょく調べるようになった。ほんと飽きずによくいらっしゃるものだ。一番のお得意様といってよいだろう。

とまあ、それはそれとして、調べていて発見したのだが、たまに漢籍関係のマイナー単語でわがブログを訪ねる人がいるらしい。もちろん大学の授業で必要らしいものもあるようだが、とてもそうは思えないような、専門的な分野で調べる必要はなかろうし、逆に一般の人が調べるにはあまりにも無名なものを調べる人がいる。

なぜ調べているのか、不思議に思っていたのだが、さっき判明した。いや、簡単な話しだった。私がその単語でググってみればよかったのだ。で、調べたところ、なんともまあ、大学受験の漢文で出題されたらしい。まあね、そうでもないとあのような書名は出てこないよね。


6.龍馬伝

そういえば龍馬伝に谷干城も登場するのだろうか?谷将軍は若かりしころ安井先生に漢学を習っているのだけど、どうしても後に西郷南洲ひきいる賊軍を叩き潰したことや、保守派の論客、学習院の院長として有名だからな。あと農商務省の初代大臣を務めたりもした。わずかの間だけど。是非とも龍馬伝では、現代の価値観と真っ向から対立する思想をどうどうと開陳して欲しい。なにせ土佐南学は尊王思想が強烈だからな。

谷将軍だったと記憶するが、祖先(といっても四代前だけど)の秦山先生の家訓を引いて、京都に万に一のことがあれば何はともあれ京都に上れ、金がなければ乞食してでもいけ、京都にいって何もできなければ、御門にもたれかかって死ね、死んで土となり御門の一部となって永遠に皇室を守るんだ!みたいなことを言っていた。

そもそも干城という名前そのものがねえ。それに秦山の息子の垣守も、名前が全てを語っている。龍馬伝ではそういう思想が跋扈していたことを是非とも強調して視聴者に伝えてもらいたいものだ。私などは、どちらかというと事柄(服装とか器物とか)などは杜撰でも構わないので、思想的な部分で当時のものを再現して欲しいと思っている。まちがっても現代の人間が共感できるような思想的発言はしないでもらいたい。そもそも、そんなものが当時あったはずがないのだから。

......って、書いていて阿呆らしくなってきた。


7.さしあげる

さしあげるってどういう意味だろう?手許の辞典を調べたり、ググったりしてみたが、どうも今一つピントこない。与えるの謙譲語という人もいるが、だとすると「与えさせていただく」と同義なのだろうか。岩波の国語辞典(第四版)には、2番目の意味として、「受け手が目上の人、身分の高い人である時などの、「与える」「(……して)やる」の敬語」とある。で、その「与える」には「自分の物を他人に渡し、その人のものとする。やる」とあり、「現在では上の者が恩恵的な意味で授ける場合に使う」と注意書きがある。

「与える」の注意書きのなか、「現在では」がどこにかかっているのか(「恩恵的な意味」か、それとも「恩恵的な意味で授ける」か)不明確ではあるが、Yahoo!辞書によると「古くは目上の相手に渡す場合にも使われた」とあるので、むかしの「与える」は上下無関係に物の移動に対して用いられたのだろう。だとすれば「与える」に謙譲語があっても不思議ではない(もっとも「古くは」の時代がよく分からないので、ほんとうにその時代に与えるの謙譲語があったのか否か不明ではあるが)。

ただ現在の「与える」は目上から目下へ物を渡すことだから、その謙譲語と言われても気持ち悪い。それに「さしあげる」の「あげる」は、謙譲語ではあっても、偉そうな印象を拭えないから、「さしあげる」というと、「差し出す」というよりも、「してやる」というニュアンスがこもるようにも感じられる。ちなみにこちらのサイトでは一通りの解説の後、「ただし、目上の人に対しては、直接使うと恩きせがましくなり失礼な言い方になる」という断り書きをいれている。これは言語的根拠はともかく、現代人の利用法として何となく感覚的に正しいような感じがする。

ああだこうだ書いたが、手許の本とネット情報といういい加減な「調べ方」なので、なんの確信も得られない。明日、図書館でもいって調べてみよう。

スポンサーサイト

テーマ : 読書メモ
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。