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雑記

1.さしあげる

昨日の続き。日本国語大辞典その他を調べたところ、「さしあげる」というのは、「与える」の謙譲語としての意味と、「(~て)さしあげる」という補助動詞としての意味の二つがあるため、「与えてさしあげる」や「連絡してさしあげる/連絡をさしあげる」というややこしい表現を目にしたとき、意味上に混同がおこるのではないかと思うに至った。

また「さしあげる」は、「あげる」(「やる」の敬語)に「さらに敬意を込める表現」(日本語大辞典)らしいが、「あげる」には謙譲語としての表現と「動作を他にしてやることの丁寧な表現」(同上)が含まれ、1970年代以後、この謙譲語と丁寧語の両方の「あげる」が行われており、複雑な意味を持っているらしいのも、混乱する原因の一つなのだろう。

なお「さしあげる」が「与える」の謙譲語だというなら、へりくだって「与えさせていただく」となるが、これは奇妙な表現ではないか、「与える」は上から下に向かう動作だから、謙譲と相容れないのではないかというようなことを昨日書いた。

その「与える」について、日本国語大辞典には「現在では、上の者から下の者へ授ける場合にいう。やる。さずける」(用例に斯道文庫本願経四分律平安初期点(810頃)をあげている)と、現代的な表現であるようにしつつも、その語誌には「ふつう、上位者から下位者に物品を授ける場合に用いられる」とあって、いまひとつハッキリしない。その他の辞典も「さしあげる」は「与える」の謙譲語としていたが、角川の『古語大辞典』は、「さしあぐ」に対して「「贈る」の謙譲語。献上する。たてまつる」と釈している。角川だけが「贈る」とする理由は不明ながら、現代的な語感からすれば、「贈る」の方が分かりやすい。「贈らせていただく」はいいやすい。

そうそう小学館の『日本語新辞典』(2005年)には、「敬語――さしあげる」というコラムがあって、そこで謙譲語としての「さしあげる」と補助動詞の「さしあげる」を解説している。そして後者に対して:

  お客様に調味料を取ってさしあげる。
というのは、「調味料を取る」という動作の受け手であるお客様を高めることになるので適切である。しかし、
  先生を同窓会にお招きしてさしあげた。
などというのは、やや恩着せがましく聞こえるので避けた方がよい。これは、むしろ単に「お招きした」とするほうが無難である。


と解説している。なぜ片方は適切なのに片方は恩着せがましいのか、不明瞭の感もあるが、いいたいことは分かる。

要するに、何重もの敬語表現が現在進行形で変化しているので、これといった決まった用途がなく、文法上は間違いでなくても、ある局面では問題なく、ある局面では気持ち悪さを残し、また別の局面ではむしろ誤用といえるものが出て来るのだろう。言葉なんてそんなもので、定理の通用しない世界だから、疑問に思ったら別の言葉を用いるのが無難だな。


2.それぞれの末路

儒者は己が節を守って餓死する
法家は自の説を守って刑死する

こんなところかな。


3.魔都上海

はじめて蒼天の拳を読んだ。子供のころに北斗の拳がはやっていたので、なんとなく気になりつつも、ええ歳こいて見るには気が引けていたのだが、縁あって読むことができた。しかし......青幇が出て来るのだけど、名前をつかっていいのかね?

中国は何につけても日本より規模がはるかに大きいし、国際的だな。鎖国っぽいことをした王朝も多いけど、それは拡張政策にでなかっただけで、人の出入りは激しいから、自領の東に国のない日本とは違うよね。でも、日本の東はアメリカだから、アメリカも日本の隣国なのかな?


4.頭脳

「頭がいい人」からも「頭がわるい人」からも「頭がわるい」と言われる。たしかにそれでは頭がいいとは言えないだろう。もっとも頭のよさとは次元の違うところで、あまりにもおめでたい考えのもとに行動するから、私程度の人間ですら失敗すると思えるようなことをしてしまうのではないか。

高畠さんはよく相手を罵倒して「おめでたい」と言っていた。しかしふつうの人ならおめでたくてもいい。むしろおめでたい人の方が好感を持てるものだ。変に知恵のまわる人間は胡散臭い。でも政治家は別で、どこまでも知恵が必要だ。知恵だけでは駄目だろうが、最低限必要なものが知恵であることは間違いあるまい。


5.春秋学

春秋学について書きたかったが、気力がつづかないので止めにした。駄目になるとこんなものだな。私も所詮その程度といったところだ。分かってはいたが、揺るぎない現実を突きつけられると、我ながら心が痛む。


6.宋江

私は水滸伝を知らないので、それ自体をどうこう言うつもりはない。が、前から気になっているのだが、宋江が二人いたとかいないとか、そういう説がなぜ重視されるのか、理由が分からないでいる。もちろん日本でも宮崎さんの説があって、あたかも定説の如き扱いを受けているので、はたして真実はどうかという意味で研究するのは分かる。これは研究のための研究という一面がないではないが、説が有力であればあるほど、学者として真偽を確かめなければならないという義務もあるだろう。だからそれはいい。

が、宋江は朝廷に帰順して方臘のような反逆者を叩き潰したらだめなのかね?むしろ犯罪者が改心して社会復帰したのだから褒められるべきじゃないのかね?

物語として楽しむというのなら、気持ちは分かる。こういうと変な話だが、反社会的な行動も、物語のなかでは楽しく読める。もともと物語と現実と厳格に線が引かれているからだ。必殺仕事人に人気があったようなものだ。しかし学者が称賛するとなると話しは別だろう。自分は権力の座にありながら、権力に反対するようなそぶりを見せるだけで、あたかも素晴らしい人間になれたような錯覚に囚われていた時期はともかく、そういう時代の産物をいつまでも引きつぐ必要もあるまい。

もっとも宋江のような人間がもてはやされることを考えても、王朝時代の中国がいかに一般人にとって憎たらしい存在だったかは、想像できないではない。


7.儒学(古典)と現代中国

があまりに違うので、孔丘様をはじめとする古典の中国は好きだが、今の(現実の)中国は嫌いだ、という意見がある。申し訳ないが、そういう人はおそらく古典(たぶん『論語』)を読んでいないのだろう。もし『論語』を読んだことがあるなら、そのような意見は出てこないはずだから。

『論語』は孔子とその弟子の言葉でいっぱいだ。孔子がいかに偉大な人間かが記されている。そしてその偉大な孔丘先生はついに世に用いられなかったのだ。それだけから考えて、古典世界の中国も偉大な孔丘様を受け入れない存在であったことが分かる。だいたい世の中に批判がましいことばかり言っている時点で、その時代の駄目さ加減がわかるというものだ。

古典は素晴らしいのに......と思う人は、古典の「素晴らしい言葉」が現実に行われていたと思うことから来るのだ。しかしそんな「素晴らしい言葉」が現実に行われたことは、伝説の堯舜の時代はともかく、歴史的には一度もない。だから中国の古典を学んだ人は、気兼ねなく現代の中国を受けいれたらいいと思う。

言うまでもなく、我が日本にも儒学は入り、江戸時代には「体制教学(ATOKで変換すると大成驚愕になった)」だったが、別段、優れた儒学者の手で世の中よくなったという話しは聞かない。私は日本人だから、日本には素晴らしくあって欲しいとは思うし、そうであれば誇らしいが、古典贔屓で中国だけを批判するのは片手落ちだ。日本を愛することは、日本の欠点に目を瞑ることでも、中国を譏ることでもあるまい。いちいち言うまでもなかろうけど。


8.日本贔屓

日本と中国のことで思い出した。私の子供のころは、日本は欧米のまねばかりで独自性がない、応用問題が解けない、という話しをよく耳にした。小学生くらいまでは、日本は自然がゆたかだとかいう寝言も聞いたことがある。

が、大学に入って、外国書文献の授業を受けたとき、同学年の人が「中国はまねばかりで駄目だ」と発言して、講師をはじめ我々も「何いってんの?」という雰囲気になった。講師が「日本はどうですか?」とたずねると、その人は「日本は独自性がある」といようなことを言って、ますます場が白けた。

日本に独自性があるのかないのか、これは難しい問題だが、中国のまねはかつて我が日本も行っていたもので、追われる者としての焦燥から批判するのは分かるが、現実問題として日本が追従や模倣をしなかったかといえば、それは嘘のはずだ。上にも書いたが、私は日本が素晴らしい国であってほしいと願っているが、それは事実をねじ曲げるものであってはなるまい。ま、これもどうでもいい話しではある。それに中国も宇宙に乗り出しているのだから、いまさらまねも何もあるまい。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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