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雑記

1.四庫本か......
2.漢字の辞典
3.長寿
4.郭公
5.公羊伝の注釈
6.約物
(※以下、本文)
1.四庫本か......

すごく久しぶりに北九州中国書店の中国古籍全文検索叢書シリーズ簡易版(CD-ROM)を見た。存在を忘れていたが、もしかして張應昌の辨例編でも出てないかなと思って調べたけど、やっぱり出てなかった。しかもデータベース検索が消えてExcelデータを公開していた。いちおう四部分類(経史子集の分類。専門家は十進法より四部分類の方が便利なのだ)に区分されているし、底本も書かれているから、進歩したようではある。

が......かなり四庫本が多いような気がするけど、なんで?特に春秋学関係で四庫本はないだろう。孫復の尊王發微が四庫本って、なにかの冗談ですか?

尊王發微には夷狄という文字がたくさんでてくるので、四庫本は改竄が激しいのだ。なかには改竄が面倒くさくなったのか、文字だけ削って空白にしているところすらある。え、なんで夷狄を削るって?それはね、清は女真出身で、中国からみれば夷狄だったから、自分のことを夷狄夷狄よばれるのが嫌だったのさ。気にしなければいいのに、そういうところに神経質だったのが清なのだ。

うろ覚えだけど、「北京で刊行中のUSB方式」は通志堂経解を使っていたはずなんだけど、どう考えてもそちらの方が見識あるよね。っていうか、四庫本のデータは本当に自分のところでスキャンしたのかね。まさか右から左に流したわけではあるまいな。知らないけど。


2.漢字の辞典

で、北九州中国書店の目次を見ていたら、ついでに漢語大字典(第二版)が目にとまった。『漢語大辞典』ってなんじゃらほい?

我が日本に『大漢和辞典』という過去の遺産があることを知る人は多いだろう。いや、少ないかも知れないけど、そういうのがあるのだ。諸橋さんという人が編纂したもので(なぜか「著」になっている)、世界でもっとも大きい漢和辞典だ。初版のできが悪かったので、訂正版が出たけど、それでも間違いが多いというので、一部の世界の人は難儀して使ったものだ。

でも後に中国から『漢語大詞典』というのが出版されて、『大漢和辞典』の学問的生命は、少なくとも専門家の間では終わった。私も『大漢和辞典』をもってはいるが、ダンボールの中に入ったまま何年も眠っている。っていうか、引いても載ってないし、載っていても間違ってるかもしれないし、使う気になれない。今になって、『大漢和辞典』を買う金があるなら、『日本国語大辞典』(第二版)にしておけばよかったと後悔しているくらいだ。

とまあ、それはともかく、中国の『漢語大詞典』と似たようなタイトルのものに『漢語大字典』というのがある。違いはタイトルの「詞」と「字」の相違のとおり、『漢語大字典』は単漢字の辞典なのだ。おそらく漢字の辞典としては最も大型のものだと思う。『漢語大詞典』は立派な辞典だが、漢字の収録数は『漢語大字典』の方が多い。だから『漢語大詞典』にも載っていないような超マイナー漢字は、『漢語大字典』で確認することになっている。

でかい辞典なんだから、全部の漢字を入れておけよ!と思う人もいるだろうが、それはちょっと難しい。なにせ中国には地方でしか使っていない漢字がかなりある。地名なんてのはその典型例で、むかし劉敞の本貫地(本籍地のようなもの)を調べたとき、意味不明な漢字が出てきて困った。発表で使う予定だったので、発音が分からなくてね。結局、それは『漢語大字典』(初版)にも載ってなかったような気がする。

それはそうと、その『漢語大字典』の第2版が出たらしいという噂をしばらく前に聞いてはいたが、出版されていたのね。でも6万って......個人で買う気になれるものじゃないな。それに悪いけど、辞典はもうデータでいい。文字コードの関係でテキスト無理というなら、別に画像でもいいよ。『漢語大詞典』もそうだけど、紙を繰る時間がもったいない。辞典なんて意味しらべるだけのもので、辞典を繰る勉強なんてしてもしょうがないだろう。もっともそれは私の世代のように、もともと紙を繰るのが当然だった人間が思うことかも知れない。

むかしネットの検索ができなくなったとき(大学の方でサーバの調整があった)、学部生が資料が調べられないといって大慌てだったことがあった。ネットが駄目なら紙で見たら?と思ったけど、彼らが研究室に入ったときは、もうネットでいろいろ検索できたので、紙で調べたことがなかったらしい。ネットは繋がってないと意味ないから、いまのところまだ紙の使い方を知っていた方がいいのかもしれないと思ったり、そういう人は調べる必要ないからやっぱりいらないかと思ったり、複雑な気分になったものだ。


3.長寿

ってあこがれの対象なのかな。いや、私は別に死にたいわけではないが、長生きしたいとは思わないな。長生きしてもしかたないだろうし。それとも長寿にあこがれる人は、生きていてそんなに幸せなのだろうか。死にそうなときに生きながらえようとするのは人間の性だろうから、それは分かるのだが。もともと死とか何とかが好きな性分なので、前からこういうことを考えていたりする。でも、終わりの時期が分かっていれば、逆算して生きるので、もっといろいろ計画の立てようがあるんだが、下手に長生きするとどうなるか分からんから困る。

まあ昔の人の長寿は70か80くらいだからな。50くらいで死んでも若死にとは言われなかったし。むかしの感覚でいう若死には何歳くらいかな。30は若いが、40は微妙だな。


4.郭公

胡安國がキモイとは言い得て妙、私もその通りだと思う。が、いちおう胡さんのために弁解してあげよう。彼の『春秋伝』は、皇帝に対金戦争を唆した経筵講義をまとめたものなのだから。もちろんわざわざ春秋をつかってそういう不埒なことをしたのは、彼のキモさを如実に著しているのだが。同じ経筵の講義でも、戴溪の『講義』は胡安國のような批判は受けなかった。って、結局弁解にならなかった。

もっとも同じ胡安國の『春秋伝』を読んでも、専門家と一般人とでは感想は異なったはずだ。昨日書いたのは、あくまでも専門家の間の話しで、当時の春秋の専門家が問題としていたのは、春秋のより優れた道徳的解釈もさることながら、三伝の解釈の是非とか、事柄からどういう技法を用いて意味を理解するかとか、書法と義例の異同とか、世変と書変の関係とか、そういうテクニカルなものだった。

しかし一般人にそんなテクニカルな問題は全く理解できなかっただろう。せいぜい数十年前の新学説を吹聴するのが関の山だったと考えられる。例えば、春秋経文に「郭公」という意味不明の二字がある。これは前後の文脈に馴染まず、三伝以来、難解をもって知られていた。ところが北宋の中頃、劉敞先生たちが新説を提出し、学界を騒然とさせたのだ。

曰く――郭公は郭亡の間違いである。では郭亡とは何か。梁亡と同じである。梁亡と同じとは如何。梁亡は自らの失政によって亡んだ。然るが故に、「梁、亡ぶ」とあたかも自然に亡んだかの如く経文に記されたのである。然らば梁亡と郭亡との関係は如何。『管子』(現行本『新序』にあり)に云う、斉桓の前、郭は賢を知りながら賢を用いず、不肖を知りながら不肖を退けなかった、然るが故に亡んだ、と。時と事とを鑑みるに、まさに経文郭公の時事に相即する。すなわち郭公は郭亡の誤植である。

なかなか武断な解説だが、こういう学説があるのは北宋中頃の専門家にとって常識だった。ところが一般人の中には、南宋の前半にもなって、「こんな新説あるんだぜ!」とか言って浮かれてる人がいる。要するに、経学のような難しい分野は、当時の士大夫にあっても、専門家と一般人の間で知識にずいぶん開きがあったのだ。

それはともかく、汪克寛の『胡伝纂疏』を見ると、郭公が郭亡の誤植であることを説明するため、篆文を持ち出している。これはいただけない。なぜなら明らかに後付の説だからだ。篆文を視野に入れるのはいい。しかしそれならはじめから篆文と現行文字とを比較し、経文の誤植を全て研究した上でなければならない。郭公だけ、というのは、いかにも都合がよすぎる。学問はもっと根柢から深く進めなければならない。


5.公羊伝の注釈

公羊伝はぶっとんだ解釈で知られている。曰く、春秋の歴史は混乱の時代から太平の時代に向かって進んでいる。曰く、復讐は百世の後からでも果たしてよい。等々。ちょっと頭がどうかしてるのではないかと思われる。が、こういう変な解釈の八割方は何休のセイであって、もとをただせば漢代の公羊学者のタメである。まあ復讐説は公羊本来の学説ではあるが。

しかし公羊の特徴は何休にあるといっても過言でない。というか、もし公羊から何休の学説を除いたら、あまり穀梁と変わらなくなってしまい、特徴がなくなってしまうのだ。で、清代に公羊の研究が盛んに行われたときも、やはり何休の路線で研究が進められた。陳立の『公羊義疏』はその集大成としてよく知られている。

ただ皮肉なことに清代で公羊伝全篇にわたり始めて注釈した人物は、孔広森という男で、彼は何休独自の説を省き、公羊伝本来の教説にちかい解釈をおこない、『公羊通義』という書物を著した。彼はまま公羊伝の誤解にも言及しているので、公羊伝そのものの研究としては、なかなか公平中立なものである。ただおもしろくないと言うに過ぎない。

それだけなんだけど、さっき孔広森でググったら変な論文が出てきた。「中国のマルサスと言われる洪亮吉の人口論」(PDFだよ)。論文中に洪亮吉は孔広森らとならぶ学者だとかなんとか書いてある。

別にいいけど、洪亮吉って経済学者でもなんでもないと思うんだけど。こういう人の経済論は、現在でも目を見張る理論がない限り、なくてもよかったんじゃないのかね。ただ、むかしの経済学説と似たこと言ってた人がいたってだけじゃないのか。いや、別にいいけど。でも漢文も読めないのに論文書くのはよくないと思う。それと洪亮吉の文集は四部叢刊でいいんじゃないのか?

いや違う!思い出した、昨日の寝る前、孔広森の通義の序文を読んだのだけど、長すぎて途中で寝てしまった。申し訳ないけど、無意味に長い序文を書くのは止めて欲しい。そこらの学者と違って孔先生は偉い人なんだから、そのくらい出来ると思うんだけど。それとも粗悪な縮刷本で読んだから、長く感じたのだろうか。でも許桂林よりは明らかに学力あるな。


6.約物

大したことではないが、日本語も横書きが増えてきたら、句読点以外に疑問符とかコロンとかセミコロンとかも正式な文章で使い出すのかな。いや、もう使っているところもあるけど、まだところによって不謹慎だと思われかねないから。でも日本語はなぜコロンとかセミコロンを省いたのかね。だらだらつづく日本語の性質からいって不便だと思うけど。そういえば「,」を使わない人は使われると気持ち悪いらしいけど、馴れるとどうということないので、コロンとかセミコロンとかも馴れれば大したことないような気もする。


暑くなり始めたのにココア作った。気のせいか粉が溶けやすかったような。かなり久しぶりだったせいかな、それとも品質改良が進んだのだろうか。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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