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雑記

詳説日本史研究は読んでいないが、詳説政治経済研究は読んでいる。高校教師が一人でまとめた本らしく、途中で胡散臭く思うようになった。申し訳ないが、たとい高校程度の内容でも、一人でまとめるには荷が重いのではなかろうか。

まだ日本国憲法の基本的な話しまでしか読んでいないが、やはりというべきか、帝国憲法に対する見解に偏りが多く、若い人々が読むにふさわしからぬできになっている。また太平洋戦争時期の日本の状況を明治から昭和初年にまで当てはめようとする安易な態度には疑問があると言わなければならない。

もっといえば、日本国憲法に含まれる問題、日本語と英文との相違や前文の気持ち悪さ(足して二で割ったものだからしかたないけど)については無視し、さらに日本国憲法成立時の問題についても無問題というような態度を取るにも関わらず、自由の平等のという権利要求に対してのみ課題に紙面を割いて説明している。

どうでもいいが......いや、どうでもよくない。日本人として権利の要求は結構なことだが、この参考書に書かれている要求は、明らかに日本国憲法成立時の強大な国家権力を前提にしている。現在なおも国家権力は強大とはいえ、多くの問題が国家対国民(というのも気持ち悪い表現だが)ではなく、国民対国民、ないし世界対国民にある以上、このような国家に対して権利さえ要求していれば何でも正しいみたいな書き方は、非現実的であるばかりでなく、非生産的だ。いまだに権力というと国家であり、反権力で国家に刃向かうことが格好いいとか、そういう前時代的なものに価値があると思っているのだろう。そういう人は、国家は万能のスーパーマンだとでも思っているのだろうか。だから国家に頼って、国家を叩いて、国家にねだれば、なにか出て来ると思っているのだろうか。残念ながら、国家がどれほど保証や補填をしても、いずれない袖は振れぬ時が来るのだ。

それとこれはこの本だけのことではないが、なんでもかんでも人権人権というのには、さすがに辟易する。人権というのは、人類の辿りえた崇高な理念であって、本来ならばそれを享受し得る立場にいる我々日本人は大いに感謝しなければならないはずだ。しかし口を開けば人権人権では、さしもの人権もありがたみがなくなる。奇妙なことだが、あらゆるところに価値が認められると、その価値は価値の効能を喪失する。人権があらゆるところに認められたら、その暁には、みなが人権をまもる住みやすいところになるのではなく、人権のない過去の人間社会にもどってしまうのだ。

まぁ高校教師の書いた本だから、あまり叩くのも悪かろう。期待通りの出来だったとだけは言える。でも折角なので最後まで読むつもり。


そうそう高校教師と大学学者と区別するのはよくない、内容で勝負すべきだというかもしれない。それも一つの貴重な意見であることを否定はしない。しかし能力差があるからこそ、一方は高給取りの大学先生になり、片方は薄給で世間からなにかと叩かれる高校教師になっているのだから(両者まじめに働いていてのはなしだが)、当然ながら学者にはより一層峻厳な態度で批判し、高校教師にはそれなりの態度で遇するのが良識ある態度といえるだろうし、礼儀的にも進んでそうすべきだろうというのが、私の考えだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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