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雑記

1.pdf
2.pdf2
3.pdf3
4.耳かき
5.印刷用紙および書籍
6.思想「史」
7.カスペ君
8.写本ルート
9.国文学研究資料館にある大学院で博士(文学)を取得しよう !

(※)以下本文

1.pdf

そうえいばOpenOfficeもpdfできますね。他にもkingsoftofficeとかいうのにもpdf機能がついてます。やったことあります。just pdfも。まあ有料ですけどね。それとoffice2007以降はpdf機能標準添付されていたと思います。私はバージョン低いので使えませんが。

officeとか一太郎系統はともかく、それ以外のpdfは、半角を縦中横できないとか、縦書きpdfにするとレイアウト(?)が崩れることがあって、用途によっては実用向きじゃないです。他にも、文字埋め込みが出来るかどうか、web最適化は可能か、あるいは文字のグラフィック化とか、まれに必要なときがあります。そういうのは標準添付のpdfではできない場合がありますね。

その点、inDesignはacrobatがなくてもいろいろできて便利です。まあacrobatももっと安ければ欲しいですけど、あんだけ高いと買う気にはなれませんな。そこまで高性能でなくても普段困らないので。ただ普段でないときがあるので困るだけです。でもAdobeは重い。へぼいPCだとなおさら堪える。

2.pdf2

この前の記事を見たら、「inDesignでpdfにするのが難しい」と読めるのに気付いた。いや、そうにしか読めない。......いかんな。InDesignにはレイアウトグリッドというのがあって、日本語を用いる場合、方眼紙のマス目のようなところに文字を入れて、行間字間その他を細かく設定できるのです。ところがそのグリッドにコピペしてデータを流したら、グリッドの外まで文字が溢れたので、「どうやるんだっけか?」と云うことになり、本棚の下で歪んだまま睨んでいた解説書をひもとく結果となったのでした。

pdf化そのものは簡単です。実に普通です。ぽちっとボタンを押せば(設定しれあれば)、それで作れます。cs2の場合はPDF/X-1aとPDF/X-3の2種類が利用可能です。

そういえばフォントの種類(性格?)を考えず、MS明朝の文字サイズそのままでpdf化したら、怖ろしいほど小さい文字になってしまった。う~む、いろいろいじるのは楽しいけど、あまり時間もないなので、思い出すまで面倒だな。

3.pdf3

pdfで思い出したけど、OpenOfficeのpdfは編集できなかった......のではなかったか?もちろんInDesignもpdfを作れるだけで編集まではできない。kinng~も同じだったと思う。just pdfは「編集」と「高度編集」の2つがあって、前者は頁の切り貼りだけ、後者はpdfそのものの編集まで可能(だったと思ふ)。acrobatは、まあ、言うに及ばず。やはり道具は金(かね)だな。

3.耳かき

愛用の竹耳かきが痛んだので新しいのに変えた。なんか知らんが竹のが売ってなかったので、金属の耳かきを買ってみた。ぼんぼんのところが三重の鉄の輪というつくりで、「360度どこでもゴミが取れます、てへ」みたいなことが書いてあった。なんとなく使いにくいが、慣れれば何とかなるだろう。でも耳かきの掃除が面倒だ。

4.印刷用紙および書籍

レジュメやレポートなら常識的な紙を用いておれば気にならないが、不思議と本になると紙は重要になるらしい。最悪なのは真っ白な紙で(って、もちろん赤とかは論外ね)、あれは光るから目に痛い。真っ白な紙で本を読むのは難しい。だからちょっとクリーム色がかったのを選ばないといけない。というようなことを、おおむかし読んだ岩波文庫創設秘話的なので見かけた。

当時はそんなこと考えてもいなかったが、言われてみれば確かにその通りで、真白の紙に印字された読み物は、ちょっと遠慮したい気になる。しかし岩文を見ていると、本についてよく研究してるのだろうことは、素人ながら何となく分かる。文字の大きさや字間・行間など、少なくとも読んでいて苦痛になるような作りになっていない。これも伝統の賜なんだろうか。

たまにプロの出版社の本のわりに、余白が変で気になるとか、紙が白すぎるとか、そういうのを見かける。売れない系の単行本で、「無理して文字をつめこんである、がんばったんだね、ホロリ」というのもあるが、薄利多売を目指しているとしか思えない文庫本で粗雑なのを見かけると、本の内容以前に嫌な気持ちになってしまう。

そういえば岩波とか角川とかが参加するとかいってた電子書籍のは、印刷所が一枚噛んでたな。常識で言って、ちょっと出版知ってます程度の人が作った電子書籍は読めたものではあるまい。電子書籍(の必要があるかどうかは知らないが)の出始めは、それじたいが珍しいから、「電子書籍だ!」ってのでいいだろうが、当たり前になれば、スピードとか手軽さを前提として、字間行間その他等々の問題が重要になってくるだろう。

だいたい出版について知っているのと、実際に出版そのものをやっている人とは、根本的に違うだろう。出版そのものをやっている人が出版業界と今後の世界経済との関わりについて詳しいかどうかは知らないが、出版ということについて知っている人が、実際の出版物を作れるわけではあるまい。仮に「こういうのが売れる/価値がある」というのが分かっていても、「こういうの」をモノにするための技術がないと意味がない。それなら無理に読みにくい電子本なんか作らず、すなおに有料ブログにして売った方が金になるんじゃないかね。

電子書籍。ほんとうに意味あるんだろうか。べつに書籍を電子でやらいでも、電子文字でいいように思うんだけど。過去の本を電子で出すなら価値はあるが、これからのものを本で出す必要もなかろう。別に文字は本のかたちを取らなくても生きていける。

※岩波の公式サイトに岩波文庫略史というのがあって、戦前までの話しはおもしろい。

6.思想「史」

思想史も常識の範囲内にとどまるかぎり、それじたい存在意義がある。何も分からず思想の本を読むより、だいたいこの本が書かれた時代にはこんな内容の議論がありましたということが分かっていた方が、読みやすいし、より深い理解ができる。もちろんその「歴史的制約」にとらわれて、本の内容を限定的に理解する必要はないが、理解の手始めとして思想史を利用するのは、決して悪いことだと思わない。

しかし思想の本を直接読んで変な解釈をくっつけること自体は、決して有害ではない。くだらない解釈なら退ければいいし、優れていれば参考にすればいい。ただ優れた解釈を導くために先行する解釈を知らないと、思わず遠回りになるのではないか、という程度のことだ。でも優れた解釈は独創的に生み出されるべきだから、多くの人には遠回りでも、思想界全体から見ればむしろその方がいいという考えも理解できる。

これに対して、思想史ばかりをやっているのは、もっとも有害で価値がない。この手の思想史研究は、例えば劉敞の思想はどのように理解されてきたか、劉敞のこの本は偽作であるが、それがどのように流通したのか、というようなことばかりに目を奪われているものを指す。もちろん劉敞の思想を研究するためにはどうしても解明しておく必要があり、だからやむを得ずやっているというのなら構わない。とうぜんそう言うことはあり得る。むしろ困難な研究を手がけて立派だとも言い得る。

しかし思想の伝播みたいな末節の部分を本筋と思い込んで、それで思想が分かると思っている人間は、最も話しにならない。もしその人がそれで思想が分かると思っているなら、遠慮なく言わせていただくと、その人は研究を止めるべきだ。それは思想ではなく歴史だ。そしてもし歴史を明らかにするために、思想の歴史を持ちだしているなら、その人も止めた方がいい。思想でも歴史は語れるだろうが、思想は抽象的でもっとも解釈の余地を残す存在だ。だから歴史をやりたいなら、もっと別の対象を研究したらいい。最近どうも中国の思想研究には似而非研究がはやっているらしい。気分が悪いな。どうでもいいけど。

ちなみに春秋学には事柄を重んずる一派と思惟を重んずる一派があって、前者がいつも優勢だ。宋代は胡安國がいるので後者が優勢のように見えるが、それは素人の間でのことで、専門家の間ではつねに前者が優勢だ。ただそこに聖人の筆法が加わるのでややこしいだけだ。たまに聖人の筆法と思惟とを混同している人がいるが、それは本質的に異なるものだ。

7.カスペ君

ここ1週間ほどカスペルスキーの調子が非常に悪かった。1つソフトを立ち上げるだけで、妙に待たされるようになった。昨日なんか起動まで1分くらいかかった。私は頻繁に時計を見る癖があるので、ブラウザの立ち上がり時間を何気なく見ていたら、1分40秒~2分15秒ほどかかっていた。これがパソ立ち上げ直後だったりしたら余裕で3分はかかる。

タスクバーのカスペ君アイコンを見ていたら、ソフト起動時に異常にピコピコしてるので、たぶんどっか悪くなったんだろうと勝手に思うことにして、もう一度入れ直した。そしたら以前のカスペ君にもどって、そこそこ快調になった。winのアップデート時におかしくなったのか、ウイルスなんたらの更新時にへんになったのか、そのあたりはよくないけど、とにかくもとにもどってよかった。あのままでは作業にならん。

8.写本ルート

忘れていた。中国古典の抄本・刊本ルート。正確には分からない場合が多い。せいぜい清代の中頃以降が分かるくらいだ。あとは単発的に、明代初期にはあったらしいとか、宋代には刊本が作られていたらしいとか、この文字は唐代ではこうだったらしいとか、漢代の石経の残欠が残っているとか、その程度だと思う。でもまあ、頑張れば明代中頃以降のルートは、あるていど推測できるかもしれない。

しかし宋元以前は無理だ。たまに宋版とか元版を使って研究しているけど、常識でいってそんなものは無意味な研究だ。我々には分からないものが多すぎるのだ。例えば、宋以降、あれほどの文集が残っているにも関わらず、1つとして言及のなかった板本が、清代に見つかったりする。この場合、清代まで残っていたからよかったものの、これがなくなっておれば(当然残っているのは1つだけだ)、もうその本は歴史的に存在しなかったことになる。宋元代のものは、こういう分からないことが山のようにある。

だから偶然残っている本を使ってああだこうだいうのは不謹慎な話しなのだ。そしてそれを知ろうとすることも、同じく不謹慎なのだ。疑わしきは闕いておけばいい。なにごとも貪欲にいって成果がでると思うのは大きな間違いで、歴史的なものは分かることだけを説明すればいい。分からないことは分からない。この場合の分からないとは、史料に存在しないことで、分からないことそのものが分からないことだ。

9.国文学研究資料館にある大学院で博士(文学)を取得しよう !

という宣伝が拙ブログの宣伝によく出て来る。たぶん歴史学の悪口ばかり書いているからだろう。歴史学の悪口を書くブログに歴史学を推薦する宣伝が出るというのは皮肉なことだ。

私としては、「国文学研究資料館にある大学院で博士(文学)を取得」して、どのようなメリットがあるのか具体的に、視聴者の望むようなかたちで具体的に答えていただきたい。すなわち「ここで博士を取得したら、それを活かせる仕事はどこにあるんですか?」とか。もっと人間は正直になるべきだ。だから「貧乏人お断り」と書いておくがいい。



普段から見てない奴がいうのも変ですが、ゲゲゲの女房は見てると案外おもしろいですよ。

結構前のことですが、たまたま店屋で昼に見たのですが、なんでもゲゲゲの旦那の知り合いが、漫画家あきらめるとか、そういうことを言い出して、「漫画しか書けないし歳くってるしでどうにもならないので、なんでもやって生きていくしかないです」とか。まだ20代ですか......そうですか......という感じでへこみました。

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HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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