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宋代の尊号

昨日尊号について書いたが,その補足を少々。

尊号は皇帝の名前・称号・署名のことだが,実用的には,公文書に書く皇帝の名称を意味する。普通は悩むことなく「皇帝」の2字で終わりなのだが,北宋にはそう簡単に済まされない問題があり,ことあるごとに臣下が皇帝に尊号を奉り,皇帝が何度か固辞しつつ,最終的にそれを受け容れ,結果として長い長い尊号が使われるようになった。昨日あげた真宗などは,一時期「體元御極感天尊道應眞寶運文武功上聖欽明仁孝皇帝」という異常に長い尊号を用いていた。

ではなぜこのような煩瑣な尊号を使うようになったのだろうか。なかなか難しい問題ではあるが,2つほどの原因があったと思われる。

第1は因循である。尊号の歴史は古いが,宋代の尊号に直結するのは,唐の中宗(もしくは武則天)時代である。儒学の倫理枠に収まらない唐の皇帝は,従来の「皇帝」の2字に満足できず,諸種の修飾語をつけて見栄を張ろうとした。尊号はこうして誕生した。

しかし尊号は皇帝が勝手に提唱するものではない。実質はともかく,形式上は臣下から奉られることになっている。このため代替わりしても,臣下としては,前の皇帝に尊号を奉った手前,次の皇帝にも尊号を奉る必要が生まれる。まさか「今の皇帝は馬鹿だから,尊号はいらないよね」とは言えないのである。しかも何度も尊号を欲しがる皇帝が現れると,その次の皇帝にまで何度も尊号を奉らなければならなくなる。こうして尊号は増えていったと考えられる。

宋代もこれと同じで,前の唐王朝の皇帝が尊号を奉られているのに,自分達の皇帝に尊号を奉らないのは問題ではないか,という臣下の心理が発動する。そのため宋王朝でも引き続き尊号が奉られることになった。

要するに宋代で尊号が奉られたのは,単純に因循・因襲が大きい原因であったと考えられる。一度継続されたものを止めるのはなかなか難しい。それが皇帝に関係することであればなおさらである。余計なことはしないで,前のことを襲っておいた方が無難なのは,いつでも同じである。

2つ目の理由は,宋と遼の関係によるものである。唐が亡びた後,万里の長城の北部には遼という王朝があり,五代から北宋に至るまで,変らず勢力を誇っていた(北宋では長城以南にまで勢力を拡大していた)。この遼の皇帝は,唐を模倣したのか,長い尊号を用いていた。

遼と宋はたびたび使節を派遣し,両国の安全を確認しあったが,そのとき形式上両国の皇帝が公文書にサインすることになっていた。そこで遼の皇帝が長い尊号を付けているのに,我が宋の皇帝は「皇帝」の2字ではカッコ悪い。だから遼に負けないようにもっと長い尊号にするのだ,という心理が宋側に働いた。そこで遼に対抗すべく,長々とした尊号を用いたのである。

しかし宋王朝も安定してくると,皇帝は長い尊号に嫌気がさし,臣下の方も煩わしく感じるようになった。だから尊号奉上の議がおこると,儒学かぶれの臣下が反対し,皇帝もそれを容れて尊号を拒否するというようなことがたびたびおこった。しかし歴代皇帝に尊号じたいを止める気迫はなく,尊号の廃止は結局神宗を待つ必要があった。

神宗は司馬光の「ほんらい皇帝の二字ですでに至高を意味するのだから,不用な字は省くべきだ」という意見を採用し,その治世18年間尊号を受けず,「皇帝」の2字で通した。王安石などの宰相は,前例もあるので何度か尊号を奉ったが,神宗は敢えてそれを断ることで,尊号の廃止を天下に示したのである。

神宗が尊号を断ったまま没すると,自然と尊号も廃止される。後の皇帝は尊号が欲しくても,神宗が断った手前,欲しいとは言い難い。逆に断りたい場合には断りやすい。臣下の方は臣下の方で,「神宗が受けなかったのだから,尊号は用いるべきでない」と言いやすい。しかも神宗没後,新法旧法をめぐって政争が激化したので,神宗の尊号廃止は政界に隠然と力を持った。

旧法派は確かに新法を全廃した。しかしそれは神宗に反対したことと同義ではない。新法派は当然だが,旧法派にしても,神宗の意向にそって,今後の政治を行う,という大前提を持っていた。旧法派は,神宗がその崩御直前に発したとされる悔恨の情を読み取り,「新法の廃止こそ先帝(神宗)の意向だった」と発言し,新法派は「新法を断行することが,神宗の遺志を継ぐことだ」と主張した。だから新旧両派ともに,新法という具体的な問題は別に,文化的精神的な側面では神宗の継承を大前提としていたのである。ましてや旧法派の首領・司馬光はかつて自身が尊号廃止を主唱したのであるから。そのため哲宗も徽宗も欽宗も,そして高宗も,いずれも尊号を拒絶した(ただし高宗は譲位しているので,譲位後には尊号を受け付けている)。こうして宋代の尊号は消滅する。

尊号の消滅は偶然の産物である。尊号程度のものは,煩瑣ではあれ,続けても実害はなかった。しかし敢えてこれを廃止したことに,一種の宋代的な特殊性を発見できないではない。尊号が儒学の理念に合うか合わぬかは解釈次第だが,宋代の人々にとって,儒学と尊号は相容れないものだった。尊号のようなまやかし文句は,道教や中国外の影響に見えたのである。それらを排除し,純粋に中夏の人たろうとするとき,尊号もまた廃止される。ここに宋人特有の儒学意識を見ることは可能である。なにせ尊号は宋代で廃止されても,すぐに復活するのだから。


追記:2009/05/24

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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