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雑談

1.かーりる
2.どーでもいいこと
3.画像の×○△
4.著作集

※以下本文

1.かーりる

という図書館を横断的に検索できるところがあって、ひところ有名になったときに私も幾度か使い、そのまま忘れてしまっていたのを、最近になって悪口を書いている人がいたので思い出し、また使ってみたけど結局そのままになりそうな感じの今日このごろなのだが、実はこのカーリルは何をするためのものなのか、今一つ分かっていないのだ。

なんでも都道府県の図書館の蔵書が横断的に検索できるらしいのだが(不完全だと悪口がかかれてあったけど)、なぜそんなものが必要なのか、いまひとつピンと来ない。いや、必要な人もいるんだろうけど、私にはどうも必要ないように思えて仕方がない。

私の場合、本を借りるなら、まず近くの公立図書館、県立図書館、あるいはその横断検索を使う。近くの図書館にあればそれでよし、県内にあって且つ取り寄せてもらえるならそれでもいい。県内にない場合、大学の付属図書館を当たるが、ここにあれば(行きたくはないが)それでもいい。なければ諦める。もちろん県境に住んでおれば、隣の県も調べるだろうけど、せいぜいそこまでだ。たとえば仙台に住んでいる人間が高知の県立図書館の蔵書を調べてもしかたあるまいと思うのだが、また別の利用法があるのだろうか。

ちなみに単なる蔵書を調べるだけなら国会図書館を使う。というか、国会以外で調べるとすればwebcatとAmazonくらいだ。あとはGoogle先生にたずねるか。ふつうの本を調べるのはこの程度しかしない。逆に自分の専門(だったもの)を調べるなら、それなりの方法を使うが、それは専門家以外にはまったく必要ないものだ。明鈔本が北京にあるのか、みたいな感じのね。

蛇足1

私はカーリルでAmazon画像をポチッとしたことはない。というか、よほど世話になってるところでないとアフィリエイトに協力する気にはなれない。でも国会図書館がアフィリエイトしてたら絶対そこから買うけどね。

蛇足2

国会図書館はどしどしデータ化を進めて欲しい。そしてネット界隈にあふれている自作データ集を駆逐してほしい。そうすれば私のような庶民が稀覯本のデータ化であくせくする必要もなくなり、日本の古典は国家が支配できるだろう。

2.どーでもいいこと

発掘捏造から10年 「旧石器」認定 論争続く学界


昼間ぐうぜん見かけた。要するに、新しい石器が見つかっても、その真偽を調べる機関も方法もないから困ってるということらしい。ということは、今までの発見もいー加減な鑑定ですんでいたわけだ。学者ってステキな世界だね!うらやましいね!天気予報みたいだね!

私などは(感情的に)全く理解できないのだが、この手の連中には、「古いもの見つけた!俺、偉い!」と思う変な人がいるらしい。仮に古いものが偉いにしても、発見した人は別に偉いわけでもないし、そもそも古いものなんて少しも偉くない。現に今までだってなくて困らなかったのだから、これからのなくて結構、むりして見つけてもらわなくても構いません。

どーせ分かりもしない古いものを見つけたがるのは、なんでも後生大事に古いものを残そうという人間と同列なんだろうか。どうでもいいけど、そんなに古いものを見つけたいなら自腹を切ってやれと言いたい。個人の趣味と熱意でやるんだったら立派なものだ。そこは評価が180度かわる。

もうひとつついで。

京の通り名不要!?ネットで地図検索できず

なんでもネット検索で京都(市内)特有の「上る下る」が表示されないので、「標準化によって、京文化ともいえる通り名や『上る、下る』が消えてしまうような気がする」と心配されているとか。でもそれは少しおかしいのではないか。「消えてしまうような気がする」のではなく、「もう消えていることにようやく気付いた」のではないのか。

ネットは京都というローカルな存在のためにあるのではないから、京都の外の人間が不要と判断すれば、おのずと消えてしまうだろう。もし京都のそういうのを残したいなら、京都の外の人の「迷惑」を顧みず、政治の力で押し切るしかあるまい。

あぁ、私は京都に怨みがあるんじゃないよ。京都を田舎だといって馬鹿にしてるのでもないよ。ローカルだとうのは、東京でもニューヨークでもロンドンでも、はたまた私の生まれ故郷(超がつくほど田舎だった)でも、ローカルだというのだよ。

3.画像の×○△

×○△は、△が権、そして○が作、×は想像に任せます。検索でひかっかると面倒なのでね。

昨日、キリヌケ成層圏というところでアングルの似顔絵が公開されていた。まいどまいどうまいなぁと思いつつ、アングルということでを思い出した。

私は絵のことはさっぱり分からないが、なぜかしらん高校のときだったか、泉を見て妙にひかれたのを覚えている。いまだにアングルと泉の名前を覚えているくらいだから、よほど印象に残っていたのだろう。私の読んだ解説には「人間味がねー」みたいなことが書かれてあったが、私としては臘で固めたような美しさが好きだったのだから、余計なお世話としか言いようがなかった。まぁこの時代から私は既に文句屋だったのだろう。あるいは名のある(だろう)学者解説に刃向かう「反権力」者だったのかもしれない。

それはそうと、上の泉のリンク先はサルヴァスタイル美術館という個人サイトのもので、ここには他にも多くの画像が収められている。で、見ていてふと思ったのだが、この画像ってどこから持ってきてるのだろう?自分で撮影したわけでもないだろうし(というか撮影できないだろうし)、どこかの画集とかパンフレットからスキャンしたのだろうか?

オリジナル画像の著作権は切れているのだろうが、こういうのは所蔵権とか撮影権(だったっけ?)とか、その他もろもろの権利と権利でないものの境目のような権利(?)がたくさんあったと思うんだが。むかし高畠さんの写真を探していていろいろ調べたはずなんだけど、1,2年たらずで綺麗さっぱり忘れてしまった。記憶力がないというべきか、不真面目だというべきか、あまりいいものでないのは確かだな。

4.著作集

『蓑田胸喜全集』とか『安部磯雄著作集』とか黴の生えた人々の著作集が刊行されている/つつある。もっと黴の生えている高畠先生を推奨する私が言うのも変な話だが、よくもまあ金をかけてこんなもの出版するものだ。するなら50年前にしろよと言いたい。まだ蓑田胸喜の名を出すことすら憚られたころに、あえて出版したなら立派だ。しかしもう忘れてしまった頃に出されても、それなら『御堂関白記』を出すのと同じだろう。

それはともかく近所の図書館にこの全集と著作集が入っていたのでパラパラめくったのだが、なんと影印本だった。なめてんのか。学者はどんだけ楽してんだ。論文と著書との校勘とか、事実関係の確認とか、いろいろやることあるだろう。どーせ、原文を尊重するために影印にした、とか言いたいんだろうが、そんなものは言い訳にすぎない。やるなら全部データ化して印刷しろ。ということで、この無駄な出版物を出版する出版社(もし税金が入っていれば国民と国家)には利用の弁を考えて感謝せざるを得ないが、編集に携わった学者には敬意どころか、むしろ××の念を持つに至ったのだった。

そうそう平民社百年コレクション(リンク:Amazon)はどうなったんだ。もうとっくに100年すぎてんぞ。出さなくてもいいけど、3冊で出せなくなるくらいなら、はじめから出さない方がいい。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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