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雑記

1.読書
2.孤独を愛する概説書
3.岩文曾根崎
4.カバーの綺麗な本
5.本の逆ギレ
6.損害
7.イライラする
8.苦しいところ
9.コミケ用の新刊とどいた
10.自費出版サービスうんぬん

(※)以下本文

1.読書

銭基博の経学通志と李源澄の経学通論のどちらかを読み進めようと思っていたが、今一つ気持ちが高ぶって難しいな。劉敞にするかな。それとも秦山先生に戻るかな。このまま罵詈雑言を書いてもいいし、止めてもいいけど、どうしたものか。

2.孤独を愛する概説書

キリスト教(の某派)の勉強でもしようかと思って単語を覚えるために概説書と歴史書を求めたところ、なぜかしらんカトリックとプロテスタントのことだけ書かれてあった。......私はアルメニア教会とかコプト教会とか、そういうのが知りたかったんだが、古代の方にちょろっと名前が出て来るだけだった。ううむ、今回はローマとカルヴァンを調べる予定はなかったのだが。

アルメニア教会はともかく、コプト教会に属す人もまだいるらしいから、そういう人がキリスト教の歴史を書けばまた日本で通行しているのとは全然違ったものになるのだろうな。コプト教会まで少数派でなくても、正教会とか、そういう人がコテコテの正統主義を振りかざして教学の歴史を書けばおもしろいのに。そういえば大昔に出た山川の『キリスト教史』の第2巻は東方教会を中心に扱っていた。森安さんが担当したからだろうけど、よくあんなの出したな。資料的にも研究的にも便利になったはずの今日の方が、むしろ東方教会を無視しているのに。

どうでもいいけど、「とうほうきょうかい」で変換すると「東方境界」になる。あほか。キリストとかコプトとか出て来る文脈で「境界」のはずないだろうが。それと「変換すると」と入力したら「返還すると」になった。疲れているときに変換ミスがあるとイライラするな。基本的に私の使う語彙は想定外なんだろう。感情的には気持ちいいと言うべきだが、作業的には腹立たしいことこの上ない。

3.岩文曾根崎

岩波文庫の曽根崎心中をはじめて見た。できるだけ忠実に反映しようとしたんだろうな......ぁ。通にはいいのかもしれないけど、普通の人にあれはきついんでないかい。しかも通は文庫本を使わないのではあるまいか。ということは学者の自己満足ということになる。いかにもあり得るはなしだ。

4.カバーの綺麗な本

講談社の文芸文庫はいい。カバーがきれいだ。でも高すぎて買えない。あれくらい高くないと採算がとれないということは、換言すれば、価値のない本ばかり売っているということなのだろう。価値がないといって気分が悪いなら、商売にならない本といってもいい。しかし商売にならない本を売るということは、出版社はどこかで採算を合わせなければならないわけだから、すごく売れる本に迷惑をかけてやっと市場に置き場所を与えてもらっているということになる。要するに自立できていない本ということだ。ニート本?ということは、図書館に収納されっぱなしの本は引きこもり本か?

5.本の逆ギレ

そうそう「売れない本に価値はない」の反対の意味で、「売れる本に価値はある」(出版社が儲かるという意味にあらず。真理を解明したとかそういう寝言の意なり)というと憤慨する人がいるらしい。おそらく売れない本ばかり書いているのだろう。人間は偏ったものだから、売れない内容に価値を感じてその道に一直線という気持ちはよく分かる。またそれはそれでやむを得ないことであるとともに、ある意味潔いことであって、それ自体は好感が持てる(私は)。しかしそれは自分が好きだとか、自分が価値があると思っているという以上のものではない。

たまに自分の思い込みを前提に置いて、それをもとに価値を「証明」してくれる人がいるが、そういうのは無駄な努力だから止めた方がいい。どれほど努力して価値を並べてみても、「あなたが好きなだけでしょ?」の一言で終わってしまう。

しかし売れないものでも何とかかじりついて頑張ろうという物書きや芸術家は、たとえ自分の才能に自惚れて意味不明な誇大妄想教に陥っていても、こちらの精神にゆとりがあれば、それなりに愛嬌があって楽しいものがある。だれしもそういう側面は持っているからだ。しかし自分で作るでもなく、他人の価値に寄生しているだけの人が、「売れないものこそ価値がある」とか言うのを聴いていると、これはどうにも癪に障る。売れないものに価値がないとまでは言わないが、売れないものに価値があるのでは当然ない。こういう人は自分の好きな作品が売れると大いに困るだろう。なにせ売れたとたん価値がなくなるのだから。馬鹿馬鹿しい話だ。

そうそう売れないものを必至で書き散らすのは好きだというのは、あくまでも一般人やそれで生計を立てている人間のことに限られる。自腹切って本を出したり、無意味に街頭で演説してみたり、金のある人にすがりつくとか、そういうのはいい。しかし税金つかっての研究は違う。そういう人間は「自分が価値があると思っている」だけの研究をしてはいけないし、そういう手合いは断じて許してはならない。徹底的に排除されるべきだ。もっとも実益のある研究なんてほとんどないから、いっそのこと全大学の学者をすべて非常勤にしたらいい。理工系はともかく、文学系で非常勤だと研究できないとか抜かしているのは愚か者の発言で、それならむかしの偉人は誰一人偉人でなかったことになる。

6.損害

氷のカルピス買ってきたのはいいけれど溶けないから流し台に置いていおいたら(水が垂れて嫌だったのだ)、そのまま忘れて水になってしまった。150円損した。

9.イライラする

さっき一時間ほど仮眠取ったが怒りが収まらん。新旧の論文を一々叩いてやろうかな。こいつは有名な学者だがこんな恥ずかしい学説を立てていたとか、こんな初歩的な読み間違いしていたとか、あるいはこいつは今をときめく学者だが、こんなとんでも学説立てているとか、税金泥棒も甚だしいとか。

憎たらしい存在に勝とうとする場合、自分がより優れた人間になることで、相手を屈服させる方法がある。もちろんこの場合、「屈服」するのは相手ではなく、世間が勝手にそう認めるということだ。人間は自分の負けを認めたがらない生き物だから、世間がどういおうと、敵対者は現実的には屈服しないだろう。

もうひとつ、相手に実害を与えることで勝を収める方法がある。これは世の中に非常に害を与えるが、より直接的に打撃を与えることができ、おおよその場合所期の目的を達成することができる。ただし自身(ATOK先生(以下A氏)曰く、自信)も犯罪者になる畏れがあるので、自分が社会的に抹殺されなくないなら秉るべき手段ではない。要するに捨て鉢でこれで俺は死ぬとでも思った人間だけが行える方法だ。そしてそういう人間のかなりの部分は、実際に捕まってみると自分の予想に反して自己保全を図ったりする。

実際のところ、憎たらしい相手に復讐する場合、上の2つが混ざり合って出て来ることが多い。自分を負かした相手に打ち克とうとする心じしんは善悪決めがたいが、対象(A氏曰く大正)が憎悪の相手それじしんに定められると、とたんに犯罪臭(A氏曰く衆)がプンプンし出す。

もっとも理想的なのは、世の中のやくにたつ事業で大成功を収めて、相手より長生きして、みんな死んでしまってから、自分がどれほど偉大で、憎悪する連中がどれほどクソだったかを自伝や研究として残すことだ。そうすれば死後、自分の名誉は長らく保持され、憎悪する連中を長らく恥辱の底に沈めることができる。ただしそれだと相手が生きている間に復讐できないのでつまらないという意見もないではない。

8.苦しいところ

そういえばブログの記事を消してから自己紹介欄を訂正するのを忘れていた。既に存在しない項目(A氏曰く綱目)を紹介したりして馬鹿まるだしだ。でもなおすの面倒くさいな~

過去の記事で思い出したが、私も暇だったらしくずいぶん無意味なことに時間を費やしている。四書五経の訳本とか名臣言行録の訳本一覧とか、孔子のなにがしとか。私も注意はしているつもりなんだ。私のモットーは、「ふつうの人(非専門家)が調べるにはちょっと面倒くさいことを書いておく」と、「(専門の)学者学生に毫毛(稲の毛先=ごく僅かな分量の譬え)の利あるならば、どれほど世間のやくに立つ内容でも絶対に書かない」との2つしかないので、そういうものを選んではいるつもりだ。

が、なんとなく最近になって毫毛の利便性を与えたことがあるのではないかと疑うようになってきた。もし「五経にはとりあえずどんな訳があるかなー」みたいな感じの普通の人が利用して便利だと思ってくれるのなら、書き手として願ったり適ったりの話だが、もし専門の連中が「あれ何だっただろう?忘れたからちょっとググってみよう」みたいなので少しでも利便性を与えているとすれば大問題だ。やっぱり削除すべきなんだろうか。

件の李源澄とか廖平関係者の話は専門家が絶対に興味を持たない内容だから安心して書いていたが、専門家の中には身分を手に入れたとたん(A氏曰く塗炭)どうしようもないものを研究しだす奴がいるから、もしかするとカスったところがあるかもしれない。だとすればこれも大問題だ。紹介の方法をもっとよく考えていかないといけないな。

私の理想としては、普通の人が読むと参考になるが、専門家が読むと致命的に誤解し、しかも記事が真実らしく利用できそうに見えるので、正しいと思い込んで発表して大恥をかくことになるような記事を書きたい。できればそれを世間に持ち込んで、この分野ってこんなにレベル低いんだね、と世間に嗤われるようにしたいものだ。これはかなり難しい。

9.コミケ用の新刊とどいた

印刷所からコミケ用の新刊がとどいた。安くあげたからこんなもんだな。印刷の方法によって写りに差がでるんだなぁ。勉強になった。これからおいおい内容を検めていきます。

ということで、日本が大変なことになったり、天変地異があったり、そこまでいかなくても交通機関に事故があったり、私が不慮の病に倒れたり、身内に不幸が出たり、その他もろもろのことがない限り、これを持って行きます。売れるとは思っていないので、だれか手に取ってくれないかと願っています。もし興味をお持ちの人がおられましたらよろしくお願いします。

10.自費出版サービスうんぬん

電子書籍の次は電子自費出版 出版の旧型ビジネスモデルに大変革を迫るLulu(ルル)

というか、当たり前ではないか。そして実際は売れもしない本を薦める奴がでてきたり、上手い編集方法があるとか言い寄るやつが出てきたりして、最終的に実際には売れなくて時間が勿体ないことが分かって、この熱も冷めて、電子上で今と違う形態ながら今と同じような不平不満が出て来るのだろう。

しかし出版の方式が様変わりすれば、その間に隙が生まれるから、いままでそこそこ売れてた(ように見えていた)人間が消えて、それ以外の新人(若者の謂いにあらず)が登場したりして、結果としてはいいことではないか。人間個人もそうだが、抱えるものが大きくなると身動きがとれなくなる。どこかで非情になって全部投げ捨てないといけないのだろう。投げ出される方はたまったものではないが、結局は誰かが投げ出される。それが自分に当たるか否かは運次第だな。


そうえいば最近とみに平仮名でかく(A氏曰く核)のが増えてきたような気がする。これも誤変換の多いATOK先生のおかげだろうか。

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HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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