スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

春秋経

1.春秋経の句読
2.ナントカ氏の新作?
3.経学史上における孟子の位置って
4.漢書の儒林伝

※以下本文

1.春秋経の句読

例えば成公元年:

(1)いま作っているもの
元年春王正月公即位
二月辛酉葬我君宣公
無冰
三月作丘甲
夏臧孫許及晉侯盟于赤棘
秋王師敗績于茅戎【公穀茅戎作貿戎】
冬十月

(2)句読を加えたもの~より正確に
元年、春、王正月、公即位。
二月、辛酉、葬我君宣公。
無冰。
三月、作丘甲。
夏、臧孫許及晉侯盟于赤棘。
秋、王師敗績于茅戎【公穀茅戎作貿戎】。
冬、十月。

(3)句読を加えたもの~日月時をひとまとめ
元年春王正月、公即位。
二月辛酉、葬我君宣公。
無冰。
三月、作丘甲。
夏、臧孫許及晉侯盟于赤棘。
秋、王師敗績于茅戎【公穀茅戎作貿戎】。
冬十月。

事の部分はよほどのことがない限り句読は加えない。特に三伝で訓みが違う場合などは、不用意に句読を入れると三伝の一つに肩入れしたような解釈になってしまうからだ。だから事の句読点にはそれほど問題は起こらない。むしろ問題なのは日月時にどうやって句読点を入れるかだ。

本当は「元年、春、王正月(元年、春、王の正月)」だから、全部に句読を入れる方が正しい。「二月辛酉」も「二月、辛酉」がいいだろう。成公元年の例だと混乱は起こらないが、例えば「二月辛酉~。癸丑~。」とあった場合、二月は辛酉と癸丑の二つにかかるので、「二月、辛酉」と句読を入れて、二月を辛酉と切り離した方がいい。これをもし「二月辛酉」としてしまうと、次の「癸丑」との関係が曖昧になる。

そもそも葬我君宣公は二月というカテゴリーの下位の辛酉というカテゴリーに入る事なのであり、二月辛酉という一つのカテゴリーに属すものではない。その意味からいっても、「二月、辛酉」と両者の間を切るべきだ。これは四時についても同じだ。

だから日月時の句読は(2)の方が正確だけど、いかんせん「、」が多くて読みにくい。だから三伝の校点本でも、「元年春王正月」というように日月時をひとまとめにしているものがある。統計がないから分からないが、経験的に歴史系には後者のひとまとめ型が多いように感じる。

もう宣公まで終わらせた手前、いまさら標点を加えるのも面倒だから、今回は句読なしでいくつもりだけど、句読の切り方はいつも迷う。

なお【】は割注になる予定です。あ、別に公開する気はないので。

2.ナントカ氏の新作?

少なくとも新作ではないらしいが、『ジャンボ』9月号の予告(10月号)に:

あの名作がカムバック!!
「ヒツジの執事」
ナントカ

とあり、さらに「10月7日コミックス「残業」編発売決定!!」とあった。

続編なんだろうか、それとも芳文社のよくやる過去作品の使い回しなんだろうか。いずれにせよ「子うさぎ月暦」の未収録数から考えて残業編で全話入ることになるだろう。『ミニっきえにっき』の方はどうなるんだろう。ていうか、『新釈ファンタジー絵巻』の完全版を出して欲しいんだけど。

3.経学史上における孟子の位置って

いまひとつはっきりしない。史記には「序詩書」の三文字があって、なにかすんごいことしたように見えないではないし、『孟子』(現行本が孟軻のものかどうかは知らないが)を読む限り、そうとう厚顔無恥の自信家で嫌なヤローだったことはよく分かるし、史記も漢書も儒林伝のはじめの方に「孟子と荀子が登場して云々」とあるので、孔子→その弟子→孟子・荀子→漢代初期の経学者という流れになっているようだけど、その実、荀子が漢代の経学者と直接関係あるのに対して、孟子がどこでどう関係しているのかはよく分からない。

ハッタリじゃねーかと言いたいが、たぶんそれは違うだろう。もとより証拠のない世界だから分からないけども、孟子のように意味不明に夜郎自大的な男は、「世に出まわってる経は間違っている!」とかいって勝手に改造しているに違いない。『孟子』はそういうムカムカするいやな臭気に満ちている。そもそもおとなしく偉い学者で通してたような人間の著書が残っているはずはない。脂ぎった嫌な男の書物だから後世に賢者の書として残っているのだ。

ただ孟子が経になんらかの改竄を加えたにしても、漢代の経学者から重視されているように見えないのはおもしろい。『春秋』の本質というと教科書にも『孟子』の「春秋に義戦なし」とか「詩亡びて春秋作る」が引かれるほどだが、その実、その春秋の学問を作った漢代の経学者は孟子を尊敬しているように見えない。

そもそも漢代の春秋学である公羊学は、胡毋子都と董仲舒から始まり、それが公孫弘に至って大きくなり、以下、胡毋と董の弟子らが活躍する。穀梁伝は魯詩の派生から出てきたような得体の知れない学問で、孟子との直接的な関係は見いだせない。夾氏とか鄒氏の伝は残っていないのでさっぱり分からないが、公羊や穀梁に似たものだったろうから、たぶん孟子とは関係ないだろう。残る左氏伝はパチモンだから無視していい。孟子というのは儒学の歴史で特筆すべき功績を残したにも関わらず(四書の一という意味に非ず、孟荀併称の謂なり)、学統上ではいてもいなくてもいい存在のように見える。

他の経書はともかく、春秋で孟子が重視されるようになったのはいつだろうか。史記・漢書には関係は見えない。何休も公羊学の伝統に孟子を加えることはない。杜預と范には孟子の言葉が見えるが、春秋学の根幹にしているようには見えない。疏にしても同じ。経典釈文にも言及はなかったように思う(記憶だけど)。隋書の経籍志は手許にないから不明。ところが宋代になると、遺憾なことに、一転して孟子が注目されるようになる。やはり漢代の伝統をぶった切って春秋の研究を始めたから、孔子に近いところに春秋学の目的を求めるようになったのだろうか。

まあ本格的に調べると時間がかかるので、そんな面倒くさいことはしない。それに儒学者として偉い先生と経学者としてすごい人とが同一人物でなくても全く不思議ではないから、孟子が経学と関係なくてもおかしくはない。あるいは漢代の経学は、辺境でセコイ研究していたじいさんの学問に過ぎなかったのだろうか。だとすれば孟子とか荀子のような偉大な儒学者の名前が解釈に直接出てこなくても全く不思議ではない。何にせよ資料のない世界だから、そして残っている資料を信頼してよいかどうかも分からない世界だから、なんとも答えの出しようがない。

4.漢書の儒林伝

はもちろん史記のを襲いつつ一部に改訂(人によっては改竄という)を加えたものだ。歴史家のなかにはこれを苦労して解体し、経学の伝統をことこまかに理解しようとする人がいる。しかしもともと個々の事柄を正確に書くこと、換言すれば時系列に書くことが「歴史の正しい書き方」であるわけではない。編年資料を作るならいざしらず、物語風味の話を書くつもりなら、どうしても細部は杜撰に書かなければならない。脇役が主人公と同じ活躍をすると意味不明になるからだ。

ということで、細部の整合性は無視して気軽に漢書の儒林伝を読むと、漢代の経学はうさんくさく見えてくる。伏生のように由緒正しい人間もわずかに存在するが、全体的に地方で教鞭とってただけの「高々しれた学者」が多いように見える。もっとも各人の伝記は詳しくないので、もしかしたらすごい学者だったのかも知れないけど。

なにせ王朝の博士とかなると、大したことなくてもすごい人のように見えるからな。というか、すごい人かどうかを見極めるには、自分がすごくないとダメだから、すごい人の少ない世の中であれば博士=すごい人になるんだろう。そういう人々の学説が一切残らず、漢代末期の全国区の学者の学説だけが現在残っているというのは、あるいみ当然のことなのかもしれない。

清代の学者は涙ぐましい努力をして漢代の遺説を集めたが、実際は集める価値なんてないのではあるまいか。知らんけど。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。