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雑記

1.体調
2.宋代史
3.ねずみ
4.前漢の公羊大師
5.ついさっき
6.国家とはなにか

※以下本文

1.体調

ようやくもとにもどってきた。歯の調子も悪くないのでまぁ大丈夫だろう。しかし不思議なもので普段は死んでもいいんじゃねえかとか思ってるくせに、いざ体に不調が出ると治そうとする。本質的には死にたくないらしい。もっともそれに気付いて「いや、死んでもいいのじゃないか」とか強引に思い込もうとするのはいかにも私らしい。

2.宋代史

昨日は宋代史の話でもしようと思ったがやはり止めた。考えたら書きたくもないことを何で商売品でもないブログで書かにゃならんのだ。もう少しで目的(?)を見失うところだった。

もともとこのブログじたいが同人誌みたいなものだから、同好の士に対してできるだけ分かりやすく説明する義務(義理かな)はあるが、同好の士にあらざる人とは縁がなかったということにすべきなのだ。書きたくないことを無理して書く必要があるのは金を取るときだけで、それ以外はたとえ必要とされていても書く義理などないのだ。

ということで、誰も望んでいない春秋とか経学について書いていくことにしよう。

まぁ三ヶ月ほど前にブログの更新やめるとか言いながらむしろ更新頻度が上がっているような人間のいうことだから、まったく信頼できない宣言なので、もし気にする人がいたらその程度のものだと思って下さい。

3.ねずみ

歯と体調はもとにもどりつつあるが、それに反比例してマウスの調子が悪くなってきた。クリックが利きにくい。接触が悪くなってきているのだろう。

私の使い方が悪いのか、どうもマウスがよく壊れる。それでも今回のは二年くらいもったが、前に買ったやつは一年に二回も交換した。ところが十年ほど前に買ったマウスはいまだに健在でぴんぴんしてる(これは別の古いPCにつながってる)。

私的にはマイクロソフトのマウスはなぜか長持ちで、よく分からんとこのは異常に早く壊れるような気がする。なにかあるんだろうか。

4.前漢の公羊大師

に眭弘(字は孟。眭孟という場合も多い)という男がおり、公羊学の大家として知られていた。彼は実に傑作な男で、自分の学問に忠実なあまり大逆不道の罪に陥って処刑された。学問馬鹿もここに極まれりという感じの人物だ。

この男がどう馬鹿なのかというと、昭帝の御代、泰山の石がかってに立ち上がったとか、枯れていた柳が復活したとか、そういう怪しげな出来事があったと聞き知ったこの公羊大師は、春秋学の理論を駆使して、「石や柳は庶民の象徴で、さらに泰山というのは新たな天子の立つところだ。これはたいへんだ。皇帝はすぐに庶民から賢者を捜し出し、これに皇帝の位を譲り、現皇帝一族は田舎に隠遁すべきだ」という寝言を上奏した。当時昭帝はまだ幼く、霍光が政権を握っていた。霍光は当然にしてこの意味不明な寝言に怒り、すぐさま眭弘は大逆不道の罪に問われて処刑された。

よくもまあこういう馬鹿なことを発言するものだ。こういうのはよほど自分の学問に自信があって、さらに有言実行の人でなければできない芸当だ。その人となりの是非は知らないが、学者としての誠実さは人一倍だったろうことは想像に難くない。

春秋学者にはこういう意味不明な情熱を持った人がちょくちょく登場する。三年間だれにもあわずに研究を続けてみたり、春秋の筆法を用いて無罪の人間を死刑にしてみたり、一万数千文字の経文の一字一字を配列して気の狂いそうな一覧表を作ってみたり、春秋学者には頭のおかしい奴が実に多い。もっと別のことに精を出せば世の中の役に立つものを、そうでないものに必至になるのがいかにも春秋学者だ。そしてそこがまた春秋学のステキなところだ。

眭弘の伝記は『漢書』巻七十五(ちくま学芸文庫の第六冊目の397頁)にある。興味のある人はぜひ読んでいただきたい。公羊学(春秋学もだいたい同じだけど)はつまりそういう学問なのです。

5.ついさっき

なんとなく手持ち無沙汰でぼーっとしていたところ、消防車のサイレンが近づいてきたので弥次馬よろしく通路側から見ていたら思わず近場で止まってなにやら消火活動らしきことをしていた。近所というほどでもないが、あるいて数分のところだけにちょっとびっくりした。

それにしてもこの暑いなか消防士は大変だね。ほんと頭が下がる。しかし国の借金がかさんで公務員に給与が支払えなくなると消防士も警官も雇えなくなって国家の基本的な治安が維持できなくなる。ちょっと前は測量士らしき人が道路を調べていたが、効率の問題はともかく、こういう調査ができなくなると国家の基本的なインフラが整備できなくなるから、今にくらべれば不快な生活を強いられることになるだろう。

もっともどれほど国家にとっていいことだと分かっていても、それによって人生棒に振るような損害を受ける方からすれば、到底賛成できかねるだろうから、ここは難しいところだ。結局世の中を変えるのは人の抗うことのできない力なんだろうなぁ。

6.国家とはなにか

というのは大昔から議論があるが、敗戦の日も近づいてきたので石川準十郎の回想記を思い出した手前、なんとなく石川氏と林癸未夫氏の国家観の違いを思い出した。石川氏のはいかにも高畠さんの弟子らしく機能的な国家論なのだが、林氏のはちょっと観念がかった国家論だったように記憶している。しかし石川氏は「変革しないと国家が崩壊するから」といって全く別個の国家を作り上げようとするのだが(国家社会主義の国家ね)、その新しくできた国家社会主義の国家はもとあった国家とどういう関係になるのだろうか。そこまで変えてしまえばもうむかしの国家=日本はなくなったことになるのではないか。まぁ石川氏の場合、日本人という血縁的な塊が日本国の根幹だと思っているように見えなくもないので、その血縁的な塊が存在すれば国家の形態がどれだけ変わろうと同じ日本だということなのかもしれない。国家社会主義も何もかも、もう遠い過去の話だけども。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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