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春秋学の歴史

※中身はありません。枠だけ設けておけばいずれ書く気になるかなと思っただけです。

1.発生
2.秦漢
3.魏晉南北朝
4.隋唐
5.宋元
6.清

1.発生

どうせ資料が少なすぎて調べてもなにも分からない。余計なことは言わず、「不明」で済ませておくのが賢いやり方だ。強いて言うとすれば、春秋経は孔子が作ったもので、弟子が伝承した。

2.秦漢

春秋学が誕生した時代。はじめは経学を広く修めた人々が学界を主導したが、後々は楽して一経専門になった。この時期の春秋学は公羊学が中心で、前漢の中程に皇帝が穀梁伝を強力に推したがはやらなかった。前漢のとちゅうから左氏伝が勢力をもちだし、後漢のはじめには公羊伝と激しく争ったが、王朝公認の学問は公羊伝とされ、左氏伝は負けた。後漢が亡びると公羊伝は滅び去り、左氏伝の独壇場になった。

漢代のはじめには春秋五伝(公羊伝、穀梁伝、鄒氏伝、夾氏伝と左氏伝)があったらしい。しかし現在残っているのは、公羊伝と穀梁伝、そして左氏伝の三つのみ。

3.魏晉南北朝

左氏伝が流行した時代だが、やや子細に観ると、南朝では穀梁伝も儀礼的な部分で研究されていた。公羊伝を専門とするマニアもいたらしいが、大勢に影響を与えるようなことはなかった。教科書的には、北朝では服虔の、南朝では杜預の左伝解釈が流行したということになっている。ただし現実的には流動的だったらしく、両者を兼ねた学者もいたそうです。

4.隋唐

内乱で経学がばらばらになったので、偉い皇帝の思し召しで経学説を統一することになった。春秋は左氏伝が正統解釈に選ばれ、さらに左氏伝の解釈として杜預のものが選ばれた。五経正義の一つの春秋左伝正義は杜預の春秋経伝集解に孔穎達らが疏をつけたもの。

唐代は経学がはやらなかった。しかし世の中がゆがんでくると再び経学に注目があつまった。困るとすぐ経学に頼るのが儒学者の特徴だ。唐代の中頃に啖助が登場し、唐代に流行していた学説を無視して、かってに春秋学を研究しはじめ、独自の学説を立てた。その学友の趙匡、啖助の弟子の陸淳の3人が有名。陸淳のものは現在でも著書が残っている。

5.宋元

宋は漢・清とならんで経学大好きの時代。はじめは内乱の平定で忙しかったが、一段落つくと学問の復興に金を注ぎ始めた。経書を印刷してみたり、学校制度を充実させてみたりと、文化施策もなかなか忙しかった。春秋学は陸淳以来の学問がじょじょに流行しだした。孫復、劉敞、胡安国の名前がよく出される。

宋代の春秋説は南宋中頃から徐々にまとめの段階に入り、元代になると宋代の学説に注するようなものが出始めた。この代表で、唐の春秋正義と対になるのが、できはすこぶるよくないけど、春秋大全ということになっている。成立は明代の初期。

6.清

学問の亡びた明代の後だけに大変だったが、皇帝が学問大好きだったので経学も大いに復興した。また明のバカが宋代の学問をゆがめたので、宋代の学問まで評判が悪くなった。ただし皇帝公認の学問は朱子学だったこともあり、春秋学も宋代の春秋学的なものが権威を持っていた。

民間の金持ちが多く住んでいる地域では、いわゆる考証学が流行し、その地方の学者が清代を代表する学者ということになった。

途中から今文

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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