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雑記

米国の大学:緩やかな衰退

まぁそうだろうな。教育は先行投資だから、基本的に教育部門だけを見れば赤字になる。米国のことはさておき、日本の場合も文系なんてどう考えても収益のあがらない研究をしてるのだから、一切の補助金を切って学者の給料も研究費も全部一つの大学でまかなわせれば、ほとんどの研究が立ちゆかなくなるだろう。

しかし国家国民として安易に削除できない研究はともかく、研究費がなくても自前で研究できる分野は大学からなくすとか、研究費を全額削除するとかしてもいいのではないだろうか。歴史とか思想はその最たるもので、こういう分野は国策として必要なごく少数の研究をのぞき、研究者の趣味なんだから、なくなっても何の問題もないだろう。

ネットでがんばって歴史についていろいろ書いてる人がいて、学者はそういうのをせせら笑っているけど、学者のやってることもそれと全く同じで、しかも歴史の研究は本質的にそういうものだということを、嗤う学者は分かっていないのだ。

どうたら言ったところで、それはあなた(学者)が、あなたたち少数の学者が価値があると思っている以外に、どういう価値があるんですかと聞いてみたい。あるいは、そのあなたたちの研究は、他のどーでもいいらしい研究と比べて、どこが優れているんですかとも。いや、逆のことを聞けばもっとわかりやすいだろう。あなたたちの研究がなかった場合、どういう不利益があるんですか、と。

もうひとつ。

日本の学生の就職「超」氷河期は永久に続く - 藤沢数希

ずいぶん時間がたってしまったけど、気になったので一つだけ。

氏は最後に「しかし長い目で見れば、日本の学生が就職できないというのは日本にとっていいことかもしれない」と主張する。この手の発言はこの種の学者におおいので、これ自体は異とするに足らない。だからどうでもいい。それよりもこの手の発言を見ていつも思うのは、この人(たち)は「日本」をどう捉えているのだろうかということだ。

現在の日本の学生が就職できなければ、結果として将来の日本によいことになる──というのであれば、「日本」という存在は、個人を離れて存在し、しかも本質的に同質な存在が未来に至るまで続くようなものでなければならないのではあるまいか。

現在の日本人にとって日本とは現在の日本なのであって、将来の日本が現在の日本と同質である保証などどこにもなく、もし将来の日本が本質的に現在の日本と異なる存在になるとすれば、それは「現在の日本の学生が就職できなければ、日本という国号を関した国が将来に繁栄することになるが、そのとき栄える日本という国は、現在の日本人とは無関係の国である」ということになりはしないだろうか。

まぁそれはともかく、どうせこういう発言をするのなら、もっと端的に言ったほうがいいと思う。氏の発言は要するに、「現代に生きる日本人にはもうろくな未来はないから、将来の日本人のための犠牲になろう!自分たちが幸せになろうとするな。未来の日本人のために戦うんだ!」と言うことになるのではないかい。こういうとまだしも大義名分があって自己犠牲精神が生まれてくる。

いずれにっちもさっちもいかなくなったら、将来の日本のためにがんばろうとかいうやつが出てきてもおかしくない。そしてその人が今もむかしもそういう精神で活動していたのなら、それは見上げたもので、ようやく世の中がその正しさを認めるところまでやって来たということになるだろう。

しかしこういう自己犠牲の精神を踏みにじり否定して生まれたのが、現在の日本なのだから、今の日本を謳歌する人間がそれをいまさらそれを口にするのは恥も外聞もないと言わざるを得ない。ましてや率先して犠牲精神を否定してきた進歩的文化人の口にしてよいものではない。これから日本が落ちぶれたとき知識人がどんなことを口走るのか、今から楽しみな気もしないではない。

最後にもう一つ。

宋代の歴史もそれなりにおもしろいので、簡便な概説書の登場が望まれる。変に経済史(しかも分からなくてもいい経済)に偏ったり、妙ちきりんな思想にかぶれたものはいらない。そんなものはむしろない方がいい。かといって既に王朝時代でもないのだから、宋史紀事本末や続通鑑紀事本末では意味が分からないし、そもそもそれらの書物が前提としている一般名詞が既に過去のものになっているしで、思ったほど効果は期待できない。というか、それでいいなら那珂氏の通史でも読めばいいと思ふ。

もっとも史記とか漢書の翻訳があるはずの漢代だってそれほど認知度がないことを考えれば、ちょっとやそっとの便利本があったところで、何の意味もないのだろうけど。

そういえば宋代は司馬遼太郎がけなしていたな。悪いけど、司馬氏のけなすところをこそ、私はすばらしいと思っている。それはつまり──このまんじゅうは甘すぎてまずい。いや、甘いから美味しいんだろ、といような感じだ。言い争うだけ時間の無駄とはこのことだ。

最後のつもりだったけどもう一つ思い出した。

大戴禮に夏小正という夏王朝の年中行事が記してある嘘っぱちの篇がある。禮記の月令とならんで昔はよく読まれたらしく、専門の研究書まで存在する始末だ。清経解にも入っている。かつては全っったく興味のなかったものだが、最近はこういうウソ本を読むのもおもしろいかもしれないと想うようになってきた。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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