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たまにメールが相手にきちんと届いたかどうか分からないときがある。たまにGmailがはじかれて迷惑メール扱いされることあるらしく、相手から文句が来て困ったことがある。もっともこれは手紙も同じで、出したつもりが不達になっていたというようなこともないではない。

たしかに常識的に考えて「府」は州・県の上位(格付けの意)ではなかろうか。日本にも大阪府とか京都府とか、むかしは大宰府とかあったが、あれが武蔵国や安芸国、あるいは愛媛県や新潟県と同列だとは思われない。それはそうと宋代もはじめはそれほど府はなかった。やたらと増えたのは徽宗(蔡京?)の時代から。

試みに『宋史』地理志で調べてみた。ただしおおざっぱに調べただけなので、細かいところにミスはあると思う。一部の年代不詳のもののみ『元豊九域志』を参照した。

・府名:州名。府昇格年度
・※印は『元豊九域志』

○四京
開封府:東京。
河南府:西京。洛陽。
大名府:北京。慶暦二年。
応天府:宋州。景徳三年。大中祥符七年、南京。

○重要地点
真定府:鎮州。河北西路。
太原府:河東路。※太平興国四年、州。嘉祐四年、太原府。
京兆府:長安。永興軍路。
河中府:永興軍路。
鳳翔府:秦鳳路。
江寧府:江南東路。※後唐の旧領。天禧二年。
江陵府:荊湖北路。
成都府:益州。成都府路。※太平興國六年に益州、端拱元年に成都府、淳化五年に益州、嘉祐四年に成都府。
興元府:梁州。利州路。

○徽宗以外の昇格
穎昌府:許州。京西北路。神宗の元豊三年。
延安府:延州。鄜延路。哲宗の元祐四年。対西夏の前線の一つ。

○徽宗時代の昇格
★京東東路
済南府:斉州。政和六年。
★京東西路
襲慶府:兗州。政和八年。
政和八年八月二十五日,知梁山軍韓瑜奏:「考『通典』,元天大聖後夢感天人,誕育聖祖於壽丘,實今兗州。大中祥符間,改曲阜縣為仙源,茲乃國家席慶福地。太宗始封此邦,聖祖真蔭,流光無極,乞陞兗州為府,冠以美名。」詔陞為襲慶府。(方域5)
興仁府:曹州。崇寧元年。
東平府:鄆州。宣和元年。
★京西南路
襄陽府:襄州。宣和元年。
★京西北路
淮寧府:陳州。政和二年。
順昌府:潁州。政和六年。
★河北東路
開徳府:澶州。崇寧五年。
崇寧五年十月二十一日,知澶州李孝壽奏:「本州實太祖、太宗龍潛之地,真宗巡狩臨幸,遂獲建原廟。元豐五年,又為陛下賜履之邦,乞賜府額。」詔陞為開府。(方域5)
河間府:関南の地。大観二年。
★河北西路
中山府:定州。政和三年。
信徳府:邢州。宣和元年。
慶源府:趙州。宣和元年。
宣和元年十月七日,右武郎、廉防使者王寓奏:「仰惟國姓所出之地,實自全趙。在昔神考,深念世本,嘗詔求程嬰、公孫杵臼之遺(祠)[嗣],優加爵號,以旌其義。又命守臣恢大城圍,用壯形勢。昨陛下惟尊姓系,即褒其州為慶源軍。臣茲獲將命,迓客朔塞,道出邢、趙,竊見邢之鹿郡元係英廟所領藩,今已改府曰信,欲乞趙州慶源軍更陞府號,以副群望。」詔慶源軍陞為慶源府,依舊軍額。(方域5)
★河東路
隆徳府:濾州。崇寧三年。
平陽府:晉州。政和六年。
平陽府,舊晉州,陞為平陽府。政和六年八月二十八日,手詔:「祖宗以來,賜履踐祚之地,皆建府號。晉、壽、齊三州,乃太宗、真宗、英宗封建之邦,有司失於申明,懼不足以仰對在天之靈而俯慰邦人之望,可並陞為府,晉為平陽,壽為壽春,齊為濟南。」
★環慶路
慶陽府:慶州。宣和七年。
★両浙路
平江府:蘇州。政和三年。
鎮江府:潤州。政和三年。
★淮南西路
壽春府:壽州。政和六年。
★荊湖北路
徳安府:安州。宣和元年。
★潼川府路
潼川府:梓州。重和元年。
重和元年十一月二十一日,劍南東川奏:「據奉議郎王維等狀,契勘本州南控瀘、敘,西扼綿、茂,江山形勢據西川之勝,水陸之衝,為劍外一都會。見管九邑四十鎮兵甲,巡檢賊盜,提舉五州軍,為東路十八州軍監之冠,與成都相對。昔元豐中,蒙神宗皇帝正劍南東川之名,人神改觀,原隰生光,千裏父老欣戴歌詠,至今不已。即目監司移文,尚以梓州為稱,竊恐名實未稱,不足以鎮壓委切之地。欲望睿斷,依劍南西川例,賜一府號,上以副神考正名之實,下以慰遠方士民之望。」詔梓州賜名潼川府。(方域7)
遂寧府:遂州。政和五年。
★広南東路
肇慶府:端州。重和元年。
★燕山府路
燕山府:唐の幽州。燕雲十六州の一つ。
宣和四年十月五日,詔:「燕京,古之幽州,武王克商,封邵公奭於燕,以燕然山得名。漢置涿郡,唐武元年改燕州,天寶元年改幽州,舊號廣陽郡,有永清軍節度。燕京宜改為燕山府。」(方域5)
★雲中府路
雲中府:唐の雲州。燕雲十六州の一つ。

○南宋
臨安府:杭州。高宗の建炎元年。
紹興府:越州。高宗の紹興元年。
慶元府:明州。紹煕五年(寧宗潜邸)
瑞安府:温州。咸淳元年。(度宗潜邸)
建徳府:厳州、睦州。咸淳元年。
嘉興府:秀州。慶元元年。(孝宗の生地)
安慶府:舒州。慶元元年。(寧宗潜邸)
寧国府:宣州:乾道二年。(孝宗潜邸)
隆興府:洪州。隆興三年。(孝宗潜邸)
常徳府:鼎州。乾道元年。(孝宗潜邸)
宝慶府:邵州。宝慶元年。(理宗潜藩)
建寧府:建州。紹興三十二年。(孝宗旧邸)
崇慶府:蜀州。淳煕四年。(高宗潜藩)
嘉定府:嘉州。慶元二年。(寧宗潜邸)
順慶府:果州。宝慶三年。(理宗初潜の地)
隆慶府:剣州。隆興二年。(孝宗潜邸)
同慶府:成州。宝慶元年。(理宗潜邸。もと秦鳳路)
紹慶府:黔州。紹定元年。
咸淳府:忠州。咸淳元年。(度宗潜邸)
重慶府:恭州。南宋?(高宗潜藩)
英徳府:英州。慶元元年。(寧宗潜邸)
徳慶府:康州。紹興元年。(高宗潜邸)
静江府:桂州。紹興三年。(高宗潜邸)
慶遠府:宜州。咸淳元年。(度宗潜邸)

調べてみたら意外と徽宗以前にも府が多かった。まあほとんど...というか太原府とか成都府とか、すべてが重要拠点だから、府がかなり重要な場所に配置されていたことは明白。なお反乱などが起こると、府から州に降格されるときがある。太宗(真宗だったかも)の時代に四川で反乱が起こったとき、成都府が益州に格下げされた。また太原府はもともと北漢の首都だったので、攻略後にいろいろ切り貼りされた。

南宋の府昇格は意味不明。というか、国都近辺の要地以外で府になったのは、ほとんど皇帝の潜邸が理由というお粗末なものだった。こういう茶番劇は北宋では考えられないことだが、これが北宋と南宋の政権の性格差なんだろう。

なお大都督府は別のもの。

そうそう大宰府の長官は帥とかいうけど、なぜ尹にしなかったのだろう。それとももともと軍事的性格が強いから帥なんだろうか。まあ、官名なんてものは各種の由来が絡み合って偶然決まる場合も珍しくないから、大宰府の長官が帥という名前になったときには、帥になんの意味もなかったのかもしれないけど。興味もわかないので調べる気にならない。

補足

大都督府とここの府は直接関係ないはずだけど、『宋史』の地理志を見る限りでは、都督府に挙げられてから府に格上げされることもあるようなので、雰囲気的には重要な州が少しづつ格上げされていき、最後に府になったと考えられる。

蔡京の時代の府増設について、『宋会要輯稿』に一部の州について府昇格の理由が掲載されている。それによると神宗の遺徳がどうたらとか、祖宗の遺徳がああたらとか書いてある。とすると、同じ祖宗つながりで、南宋に盛んに存在する某宗の潜邸とかいう理由で府に昇格させるのは、徽宗に淵源があったと言えないでもない。

蔡京時代の府の全てが地方行政上の意味を無視して作られたかどうかは未だ不明だが、少なくとも一部は全く行政的機能を無視した形で設置されていた可能性は高い。そもそも襲慶府のような特殊な名称は、本来的に府の名称としてふさわしくない。

偽斉時代の領土で南宋が接収した部分は『宋会要輯稿』にも記載されている。以下、その記事。

應天府:劉豫改為歸府,紹興九年收複,依舊。(方域5)
興仁府:舊曹州、督府、彰信軍,建中靖國元年改興仁。崇寧三年,陞興仁軍為興仁府,仍還(彰)[彭]信舊節。劉豫改為曹州,紹興九年收複,依舊。(方域5)
政和四年十一月二十六日,(穎)[潁]昌府奏:「將本府複充南輔,(穎)[隸]屬都畿。」從之。劉豫改為許州,紹興九年收複,依舊。 (方域5)
淮寧府,舊陳州,上州,宣和元年陞為淮寧府。劉豫改為陳州,紹興九年收複,依舊。 (方域5)
順昌府:元豐二年八月二十四日,詔曰:「本朝州郡之別,土廣民衆,則必表以節制之號,況王者舊封之地,顧可以無稱哉。汝陰奧區,東豫舊壤,朕實受胙於先帝,以啓土茅,宜加寵名,(周)[用]顯基命。(穎)[潁]州宜陞為順昌軍節度。」(穎)[潁]故團練州,因知州事、天章閣待制羅拯以為言,故下是詔。舊(穎)[潁]州,開寶六年陞為防禦。劉豫改為(穎)[潁]州,紹興九年收複,依舊。(方域5)
延安府:劉豫改為延州,紹興九年收複,依舊。 (方域5)
慶陽府:舊慶州,政和七年陞為慶陽軍,宣和元年陞為府。唐安化節度,後降軍事,建隆元年陞團練,四年降軍事,劉豫改為慶州,紹興九年收複,依舊。(方域5)
壽春府:舊壽州,政和六年陞為壽春府,劉豫改為壽州,紹興九年收複,依舊,寄治安豐縣。十二年置安豐軍,遂廢。紹興三十二年十二月二十九日,以壽春縣為壽春府,淮北壽春府為下蔡縣。乾道三年十二月十五日,壽春府改為安豐軍。(方域6)

州軍
滑州:後唐義成軍節度,太平興國元年改武成軍,熙寧五年廢隸開封府。劉豫改為平涼府,紹興九年收複,依舊。 (方域5)
陸海軍,舊汝州,政和五年,以歲比豐登,珍祥屢發,可陞為陸海軍節度。劉豫改為防禦州,紹興九年收複,依舊。 (方域5)
醴州:政和七年以京兆府奉天縣陞為州,劉豫改為永興軍路,紹興九年收複,依舊。(方域5)
保靜軍,舊宿州,建隆元年陞為防禦,開寶五年陞為保靜軍節度,劉豫改為防禦州,紹興九年收複,依舊。 (方域6)

劉予もずいぶんいろいろ名称を変えたらしい。地名変更の理由は定かでないが、一般的な観点からすれば、劉予からすれば新しい王朝になったのだから、由来が宋の宗室に関わる名称(特に蔡京がむやみにつけた名称)であれば、いち早く変えようとしても不思議ではない。應天府を歸府にしたあたりはその心の表れだろうか。

それに劉予が変えたといっても、むりやり北宋政権が府に格上げしたのを、もとの州名に戻したのが多そうだから、「変えた」というより「戻した」という方がふさわしい。いずれにせよ偽斉政権下の名称変更と金との関係は、南宋側の資料では限界がありそうだ。

そういえば尊号(「うんたらかんたら皇帝」の「うんたらかんたら」の部分)も北宋は神宗あたりで削除され、単なる「皇帝」になってしまい、南宋にも継承されるはずだが(ただし太上皇帝は尊号をおくられる)、遼は唐を継承し、そのまま明あたりまで続くんだったような気がする。ますます宋がいらない子に見えてきた。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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