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府(つづき)

まあそんなにムキになって調べるものでもないけど、休みの日なので少し時間を費やしてみようか。

と、思ったけど、さっそく挫折した。

『建炎以来繋年要録』巻28(建炎三年九月是秋):
金國枢密院分河間、眞定府為河北東西路,平陽、太原府為河東南北路,去中山、慶源、隆徳、信徳、河中府名,復舊州名,去慶成軍名,復舊縣名,改安肅軍為徐州,廣信軍為遂州,威勝軍為泌州,順安軍為安州,永寧軍為寧州,升樂壽縣為樂壽州,降北平軍為永平縣。

『三朝北盟會編』巻181(紹興七年十一月十八日):
金人廢劉豫の条
劉豫が大齊皇帝に即位したときのこととして、「升東平府以為東京,以東京為汴京,改南京為歸徳府」とある。同様の記事が巻141(建炎四年七月二十七日)の劉豫即位のこととして見えるが、記事不鮮明。

金も劉豫も地名の変更を行ったのは確かだろう。『金史』の編集方針は不明ながら、劉豫は張邦昌と違って金にべったりで、金から「皇帝やらない?」といわれて受諾し、金から「もう辞めない?」と言われてあっさり辞めたほどの典型的な傀儡政権だから、劉豫のやったことも金がやったことと見なせないではない。それになにぶん劉豫の政権は7年の短命だし。

いやいや『唐會要』も結構いいかげんですよ。『資治通鑑』の方が詳しいときも多いですし。まあ『資治通鑑』を作ったときには唐の実録が残ってましたしね。それにくらべて李の『続資治通鑑長編』は素晴らしい......みたいな話になりますな、北宋をやっていると。北宋の研究にとって李は神といっても過言ではない。

そういえば当たり前だが、南宋の記事には開封尹とか大名尹とかふつうに出てくる。知大名府に慣れている身としては、なんとも気持ち悪い。

昨日の調査で蔡京も何かしらん地方行政に熱を上げていたのかとチラッと思ったが、そうでもなかったみたいね。なんというか、徽宗といい蔡京といい、ほんとーに残念な人たちだな。衛の君主じゃないけど、どれだけ芸術品を大事にしてみても、いざというとき盾になってはくれないのにね。文化物なんてものは、戦争になれば焼き捨てられるだけさ。あるいは飯を持ってる人間に安く買いたたかれるか。ま、後者の場合は僅かとはいえ飯の種になるんだから、役には立ったのかもしれないけど。開封府が金に破られたとき、徽宗の自然庭園(艮岳)に植えられた全国各地の珍木が暖とりの役に立ったとか、読んだことあるな。

それにしても久しぶりに南宋の記事を読んだ。当然だけど北宋とは違うなあ。『要録』のはじめの方は李綱がずいぶん頑張ってた。地方官もはりきって戦死していた。さすがにだれきって亡んだ南宋とはひと味違う亡び方だ。こういうのを見ても、軍事的に弱ければ国内はそこそこでも国は亡びるというのがよく分かる。結局、国を守るものは軍事力なんだな。

やたらと「契丹+地図」で検索する人がいるみたいだけど、契丹の地図には何か秘密があるのだろうか。宝物でも埋まってるのかね。まぁお金があるなら潔く中国歴史地図集でも買ったらいいし、ないなら......見なくても死なないよ。

『宋史』にあったのか...ってどこかで見たような台詞だな。ちなみに『会編』は楊堯弼の偽豫伝からの引用ですので、資料的価値もどっこいどっこいですね。

『要録』を読んでいたら熊克の引用が目についた。で、ほとんど読んだことねぇなと思って調べたところ、『皇朝中興紀事本末』なる書物が発売されているらしいことを知った。『皇朝中興紀事本末』?何それ?

ネットの海を漂ったところ、中国人の書き込みによる限り、『中興小紀』のことらしい。気になるのですぐにでも調べたいところだったが、近くの大学に蔵書もないらしいので(まぁないだろうとは思っていたけど)、仮にこれが本当として、現行本の『中興小紀』は永楽大典本なのであまりよろしくない。それに対してなんたら紀事本末は「是清雍正九年以“宋槧精本”為底本的抄本」(書虫の解説)とあるからには、かなり由緒正しい本のはずだ。なにせ巻数もぜんぜん違うしな。ここははやく中国人に校点本でも出してもらって、その異同を知りたいものだ。

と思ったら、例の中国古籍全文検索叢書シリーズ簡易版で売られていた。6500円。......画像がないのに6500円はちと高くないだろうか。

どうでもいいけど、ついさっきこばと。の最終回を見てしまった。

『要録』を調べていたら、ついつい朱勝非の情けなさが笑えて読みふけってしまった。北宋末の醜い政争も清々しい喜びに満ちあふれているが、南宋初期のあたふたする士大夫を見るのもおもしろい。適当に読んでいたら、宗室の人が、「俺は宗室の人間だから降伏できないけど、もう戦っても無駄だから、君らは降伏していいんじゃね?」とか言って、みんなも渋々従ったので、城外の金軍に向かって、「お~い、降伏するから命だけは助けて」って言ったら認めてくれたので、降伏の書簡を書いて、自分と家族は井戸から飛び降り自殺したとかいう話が載ってた。なんとなく今の日本で評価されそうで恐いだけど、そんなこと言ってるから戦争に負けるんだよ。

南宋の初期に活躍する士大夫は微妙なのが多い。ただよく見ると、蔡京の一派と関係あったり、張邦昌と関係あったりと、叩けば大いにほこりの出る身分の連中も少なくない。これはちょうどあれかな、敗戦後の日本のようなものかな。敗戦の責任者を糾弾したいところではあるが、糾弾するべき人間がみんな関係者という。李綱がどれほど頑張って国是を主張しても、周りのみんなはとても従えないよねぇ。

高宗に将才でもあれば、前政権の士大夫を血祭りにあげて軍人帥いて金と戦えばよかったんだろうけどな。どうせ宋代当時の知識人なんか掃いて捨てるほどいるんだから、国が安定してから改めて前政権に関係ない知識人を抜擢すればいいのだし。

......またバッタもんを思い出してしまった。しばらく笑いが止まりそうになり。

この前、『宋史』の全訳という英雄的行為を企図した人がいたらしいことを知ったので、それでは『続資治通鑑長編』はどうだろうかと思って検索してみたけど見あたらなかった。まぁこの狭い世界のことだから、そういう神業を成し遂げる人もいるかもしれない?『續資治通鑑長編』の校点本は『資治通鑑』の校点本と同じ冊数です。

『長編』はともかく、『要録』は『長編』の何分の一くらいなんだろう。『要録』も結構な長さで、国学基本叢書的な排印本のぶっといやつが四冊。活字が小さいので比較できないけど、『要録』一冊が『長編』校点本の1.7冊くらいなので、都合四冊で校点本6.8冊。活字の小ささを計算に入れても、まあ10冊は越えない程度かなぁ。

もし『長編』校点本10冊程度だとすると、『要録』は『長編』の太祖~英宗くらいに相当する分量になる。たった三十数年しか記録してないのに。驚くべき分量だな。時代が降るに従って無意味に分量が増えるのは、最近になるに従って(?)やたらと論文数が増える現今の学界と同じ現象なのだろうか。

しかし四庫提要が激賞するだけあって『要録』は綺麗にまとめられている。分量が多い割には無駄な文章が少ない。北宋が好きな私としては『長編』=神なのだが、どう贔屓目に見ても無駄と思える文章が『長編』にはある。特に神宗と哲宗にそれがひどく、劉安世の文章をなぜこうも何度も引用するかなとか、同じ事件の解説をなぜ三回も四回もするかなとか、文句を言ってやりたくなることがある。

また『要録』は執筆対象の時代が南宋最初期という激動期なので、どうでもいい文化事業の話とか、道徳は大事ですみたいなしょーもない記事が少なく、どこどこで戦争やったら負けたとか、だれそれを失脚させたら金が攻めてきたとか、そういう胸躍る話が圧倒的に多い。ここらも『要録』を楽しんで読める理由だろう。『長編』はちと......いや、かなり無謀としても、『要録』の全訳を企図する英雄は出てこないものかね。

でも集団で翻訳するというのはあまりいただけない。もちろんプロは別として、集団で翻訳というのは成功しそうにない。そういうことをすると大概だれそれが作業しないとか、だれそれの方が楽だとか、翻訳のレベルとかそういう本筋の話になる前にもめてしまう。あるいは担当者が消えるとか。結局最後に頼れるのは個人の学力だけということだろう。そもそも人に期待すること自体が間違っているのだ。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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