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朱勔の補足および雑感

TOEIC730以上というのは、CランクではなくBランクのことでは?まあ「素地を備えている」というのはよく分かりませんけどね。おそらく若い人向けなんでしょう。若い人だから、素地を備えている→今後大きく飛躍→すぐ使える。でもTOEICって、leadingとhearing試験だけで会話能力はなかったのではなかったか......いや、試験内容が少し前に変わったとも聞いたな。

それと履歴書以外に判断するすべがないので、金がもったいないから写真を貼らないとか、履歴書もまともに書いてこない人は論外という判断。

基本的に古文書読解は人材育成を兼ねていないので専門家でないとだめ。ふつうの資料館は国文とか国史とかの学歴(修士以上)を応募資格にあげてたりする。寺の場合は......個々の寺で勝手にやってるものは、いきなり出された古文書を昔の人ばりにスラスラ読めれば問題ないのかも知れませんけど。あと宗門の大学があれば、「おいしいところ」はそちらがやる。

※以下本代

朱勔は北宋末期に大活躍した小物で、徽宗に気に入られるために呉地方の珍品を掻き集め、せっせと貢ぎまくった男としてしられている。もちろん朱勔はずいぶん強引な手段で珍品を掻き集めたので、呉の人々は大迷惑をこうむり、非常な反感を買ったのであった。朱勔にそうさせたのは徽宗の責任なんだから、怨むなら真っ先に徽宗を怨むべきなのに、そうならずに手下が恨まれるというのは、皇帝政治の致し方のないところといえるだろう。

朱勔の前に出てきた王黼という人は、『宋史』では姦臣伝には入れられず、佞幸伝(おべんちゃら集団)にその名が見える。まあ『宋史』の姦臣というのは、蔡確、章惇、曾布、蔡京みたいな超大物政治家と、その付録的人物だけを収めた巻だから、宰相にまでなりながら何も積極策に打って出なかった王黼は、姦臣の名にも劣るということだったのだろう。それに対して朱勔はいかにも佞幸伝に入るにふさわしい人間で、事実そうなっている。

伝記によるかぎり朱勔はたいそうな力をもっていたらしい。ご自宅のあった呉は東南の小朝廷とよばれるほどだったとも云われている。が、朱勔は権力を握っていたといっても、宰相は言うに及ばず、執政や枢密院の要職に就いたわけではない。彼の手に入れた節度使、観察使のような厳めしい官名はもちろん身分を現すもので、五代軍閥のような権力を持っていたわけではない。結局のところ、朱勔が権力を握っていたというのは、宰相や執政、あるいは五代の軍閥のように何か実質的な権力を保持していたのではなく、単純に徽宗に愛されていたので、その権威を笠に着て威張っていたというにすぎない。

もっとも徽宗の時代は皇帝と個人的に関係のある人間にコネをつけ、それをツテに出世するというのが当然になっていたから、そうなれば朱勔じしんの能力や地位に関わらず、その影響下にある人間は当然多くなり、結果的に巨大な政治力を持つことにもなるだろう。朱勔は北宋を代表する「つまらない人間」だけども、諸種の伝記や資料を見てみると、あんがい大物や忠義の士が門下にいたらしいことも記されている。

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