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雑記

1.何㮚の死
2.王雲
3.張叔夜
4.両河
5.サンセーキ
6.靖康要録箋注
7.西安州
8.なかくにさん

※以下本文

1.何㮚の死

張叔夜の没年を調べていて、『要録』に何㮚の死を伝えて、「世傳、㮚在金國、謀奉淵聖間道亡歸、事泄、金人纒以油布而焚之」とあるのに気がついた。李心傳はこれを本文に入れず割注に残している。いかにもあり得そうだから「世傳」なんだろうし、李心傳もこれを否定するだけの資料がなかったのだろう。

何㮚はなにとはなく文天祥に似てる。ただ彼は欽宗を敵軍に連れて行ったという失策を犯したので、どうしても世の謗りを買うことになった。もっとも彼が反対すれば事は済んだかと言えば、やはりそうはならなかっただろうから、どのみち同じ結果に行き着いたはずだ。

打つ手のない中で王朝の存続を図った場合、李綱のように強攻策に打って出るか、あるいは唐恪のように相当譲歩してとりあえず敵の矛先をかわすか、あるいは張叔夜のように長安へ遷って対抗するか、最後に南へ逃げるか、というくらいしか選択肢がない。そして李綱の強攻策に打って出れば、やっぱり敗れただろうし、長安に移っても、後に張浚が敗れるように、西夏と女真の挟み撃ちにあって敗れただろう。

別段唐恪や何㮚の考えだけが愚かだったわけでもあるまいに、失敗したからといってあまり冷笑するものでもないように思うんだがな。笑うんならその原因を作った連中を笑うべきだ。

2.王雲

王雲伝をチラッと見たけど、やっぱり分からないところがある。『宋史』はそのあたりをサラッと流していて読みやすい。おそらく『東都事略』の方がもともとの王雲伝に近いのだろう。それを不用意に削ったものだから、かえって分かりにくくなったものと想像される。

王雲関係の資料をあさらないといけないし、しかもあの部分は他に重複資料がなかったように記憶してるし、気が重いな。

3.張叔夜

のことを調べていると、宋にも名将らしい人が太原府付近には数多くおり、そこそこ金と戦っていることが分かる。もちろん全体的に敗色ムードは漂って入るが、中央の高官のごとくふらふらせずに戦っているのは名将らしい態度だ。が、どうも地の利がなかったのと、まとまりに欠けたのとで、巧く対応できなかったようだな。例えば自分の率いている部隊の出身地が先に金に占領され、親を人質に取られて降伏するとか、そういうのが目に付く。

それにくらべて真定府より東は、何灌が敗退して以後、斡離不が無傷のまま開封府まで直進してしまったけど、これは何か理由でもあるのだろうか。西北には李彦が暴れ回って反乱が起こりっぱなしだったらしいし、そもそも張叔夜も女真が攻めてくる直前に山東で盗賊狩りをしてるくらいだから、女真の来るときにはフラフラの状態だったのかも知れないな。そういえばそんなことを書いてた本を読んだような気もしてきた。王朝時代の中国で最大の戦力は河北の人だから、河北付近がガタガタだったら、そりゃ斡離不が攻めてきても守れないよね。

ということを考えると、やはり張叔夜の建言に従って金を迎え撃っても、やっぱり負けたんだろうな。あ、でも何灌が負ける前にもうちょっと出来る人間が指揮したらどうだったのだろう。せめて黄河を武器に河南を守るとか。ま、秦檜とダランの取引のごとく、河南が宋の領域になっていても、金末のときと同じく、黄河が何度も氾濫を起こして宋は疲弊してそこで自滅しただろうけど。

でも張叔夜の武将?パラメータとか作ったら、きっと高得点をたたき出せるだろう。

4.両河

普通は河北と河南だけど、宋代では河北と河東を指す。金から「両河の土地をくれよ~」と言われた場合、「河北と河東をくれよ~」というのと同義になり、「両河の地を割譲すれば河南がやばい」というのも成り立つ。別に書いておくほどのことではないけど、よく忘れるので記憶力をつけるべく書き残しておこう。

5.サンセーキ

一つだけ買ってみた。たしかに20世紀梨よりも甘みがあって歯ごたえがある。解説の通りだったので、それ以外に書きようがない。

6.靖康要録箋注

前に文句をつけたにも関わらず、今回は大活躍だった。が、やはり注が多すぎる。こういうことをするなら、「靖康之変資料集成」とか作った方が便利じゃないのかなぁ。それだと編纂者のやりやすい方法で、気兼ねなく資料を引用できるし、また利用する方ももともとそのつもりで使うから不便を感じない。

しかし靖康要録は起居注のようなスタイルのくせに、引用資料に偏りが見られる。特に楊時や胡安国の発言を長々引用する必要があるだろうか。彼らの発言がつまらないというのではなく、当時にあって本当に彼らの発言はそこまで重視されたのだろうか。彼らが有名になってから付け加えられたのではないかという気もしないではない。

この前、宋史全文の校点本の解説を読んでいたら、「本書に匹敵するのは靖康要録とか三朝北盟會編しかない」といようなことが書かれてあったが、どう考えても靖康要録と三朝北盟會編の方が資料豊富で、宋史全文はその補足程度の価値しかあるまい。あと、要録のはじめの方も参考にしたけど、予想通り、あまり役に立たなかった。中興小紀は持ってないので見ていない。

7.西安州

ほう、そんなことが。メモリアルな土地だったとは。中国歴史地図集は政和年間のなので、西安州は完全に宋の領土になってますね。あのあたりは神宗~徽宗以降変化が激しいので注意が必要ですね。あと女真が攻めてきたとき煕河路の守将は大変だったそうですよ。開封府は襲われるわ、女真は攻めてきそうだわ、西夏は攻めてくるわ、で。もっとも西夏が攻めてきたのは、蔡京の時代にセコイ方法で痛めつけたから、その仕返しというもあったらしいですね。

8.なかくにさん

そんなにいじめてあげては可哀想ですよ。


出版と印刷は違う

あなたの日本語、間違ってます~「重複表現」に注意(日本経済新聞の記事)

あれ、昼は読めたような気がしたけど、会員限定になってる。まあいいや、表題だけで中身は読まなくても分かる。でもねえ、音と文字は違うんだ。文字だと重複表現は嫌われるかもしれないけど(漢字の熟語は山のように重複表現がある)、音で相手に意味を伝える場合、大事なことは何度も繰り返さないと伝わらないというのがある。もう一つ、切り出しの言葉があまりにも短すぎると(音が少ないと)、相手が戸惑ってしまう。

「一番はじめ」というのは重複表現かも知れないけど、それが多用されるには多用されるだけの理由があると考えるべきだ。そもそも文法的にとか、修辞的にというのは、二義的な意味しかもたない。文法的にも修辞的にも完璧だが意味は伝わらなかったでは話にならない。文法なんて所詮言葉を帰納しただけのことで、文法が言葉を縛るなんぞ、越権も甚だしい。

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Re: タイトルなし

二重敬語はどうなんでしょうね。そもそも事例として引かれる平安時代の古典は、日本語の歴史としてはかなり古い資料に属すでしょうから、その意味では「あった」ことになるのかも知れません。続日本紀などは「漢文」ですし、宣命体はまた意味が違いますし。

たしかに変に言葉にこだわる人はいますね。個人的な好みでこだわるのは自由だと思いますが、人に強要するのはどうかなと思います。でも「I'm fine」は傑作ですね。何しに来たんだよ、と。
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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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