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雑記

1.西安州
2.ネットブック
3.王雲、宗沢
4.四コマ

※以下本文

1.西安州

その論文、何か新しいこと書いてましたかね?結局どうこういっても煕河路経略が一番の成功で、それ以前はこちょこちょしていただけだ、という通説と同じだと思いますけどね。

神宗前後のことは金成奎『宋代の西北問題と異民族政策』(汲古書院、2000年)に詳しい。将軍制とか。

まあ、改まって言われると、資料をまとめてあるのは便利ですね。

小さい路というのは、太祖の時代に対契丹用に用いていたものです。後の路とは異なり、州・軍・県に近い範囲の行政区(軍管区)で、都部署などと呼ばれる(比較的身分の低い)軍人が軍事権を握っておりました(『宋史』のはじめの方に列伝がある軍人)。まだ契丹との和盟が成立する前でしたから、契丹領に入ったり、亡命者を受け入れたり、契丹と北宋との間で別れて暮らしている一族を抱き込んだりして、契丹の出方をうかがっていたそうです。それで契丹が軍を動かしそうだと分かると、あちこちに罠をしかけて契丹軍の進撃を食い止めていたらしいですね。

太祖が南方を制圧できたのも、北漢を叩いていじめることができたのも、他の契丹前線で彼ら「小さい軍閥」が頑張っていたからだというのが、宋代の学者の言い分ですね。太祖もいろいろ苦心していたのでしょう。しかし根っからの軍人であった太祖はともかく、その側近として文官的な活動をしていた太宗に「小さい軍閥」を制御しきれるはずもなく、徐々に意味がなくなっていったようですね。都部署は後に経略使とか安撫使とかになったような。政府高官(文官)が現地に乗り込んで指揮する場合は経略安撫使になるんだったかな。ちょっと忘れました。都部署や経略安撫使のことは梅原先生の本に書いてあると思います。

まぁ、どうこう格好よく言ってみても、前線を守るには節度使みたいや奴が必要だということのようですな。あるいは明みたいに思い切って国都を国境にもっていくか、さもなくば元や清のように北方を領地にしてしまうか。でも文化的差違かどうかはともかく、最後には草原と農地の間で抗争が起こって、おじゃんになるのでしょう。

2.ネットブック

(1)視力が落ちる
(2)必死でタイプすると体がきしむ(=姿勢が悪くなる)
(3)でも、持ち運びに便利。調査にもっていくには便利。
(4)解像度によっては縦が狭すぎる

3.王雲、宗沢

王雲の伝記は分かりにくい。原資料を節録しているのか、状況の推移が不完全な形で再現されているように思える。

それはともかく、宗沢といえば、南宋の最初期に開封府の長官となり、金に対抗するために尽力した名臣として知られている。が、『三朝北盟会編』の王雲関係の記事を見る限り、かなりの小物で嘘つきという印象が残る。まあ会編の記事は王雲の資料から抜粋したものだろうから、王雲に有利なことが書かれてあるのだろうけど、嘘の報告をして身分を詐取したとか、王雲が裏切ったと勝手に思い込んで弾劾したとか、王雲から詐取の件を批判されると、逆ギレして民衆を唆して王雲を虐殺したとか、ろくなことが書いてない。

まぁ、歴史は記す人の手によっていかようにも変わるから驚くことではないのだが。

4.四コマ

『ヒツジの執事(残業)』を入手。話は聞いていたが節録だな。出ただけマシとはいえ、全うに出して欲しいところ。新釈はもう出ないだろうし。あれは全部出すと6冊くらいになる。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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