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春秋権衡・左氏学派への批判(03)・隠公篇

元年春王正月(元年、春、王の正月)(*1)。『伝』の「春王周正月」に対して、杜預は「周王の正月なり」と言うが、これは間違いである。周の諸侯は周王朝の暦を用いるものだ。それとも『春秋』は魯が周王朝の暦を用いぬのを厭い、そのことを明らかにするために「王」の字を加えたとでも言うのだろうか(*2)。そもそも『伝』は「王周正月」と言い、「周王正月」とは言っていない。もし『伝』が「周王正月」と言ったのなら、『伝』の間違いというべく、杜預の間違いとは言い得ない。しかし『伝』は「王周正月」と言うのであるから、『伝』の間違いとは言い得ず、杜預の間違いと言わねばならない。なぜそう言えるのか。『伝』は「王」の字を前に置き、「周」の字をその後に置いている(*3)。ならば「王」が「周」の外にあることは明らかである。「王」が「周」の外にあるならば、〔この「王」が〕時王(*4)でないことは明らかだ。杜預はただ『春秋』の解釈を間違えているばかりか、『伝』の意味するところをも間違えているのだ。




(*1)鍵括弧内は経文。以下、経文の解釈に及ぶことを考慮し、経文の原文を掲げ、丸括弧内に書き下しのみを記す。

(*2)劉敞が何に触発されてこの一節を加えたのかは不明だが、彼の考えは恐らくこうであろう。──元年春王正月の王を周王と見なした場合、『春秋』は魯の正月にわざわざ「周王の正月」と書き加えたことになる。ならば魯はもともと周の暦を奉じていなかったので、孔子があえて「周王の」という表現を加えたか、もしくは諸侯に周の暦を用いていないものがいたので、あえて魯の旧史に「周王の」と断りを入れたと考えなければならなくなる。

(*3) 「王」の字を前に置き、「周」の字をその後に置くとは、『伝』の「王周正月」の配列を念頭において指摘したもの。すなわち「王周正月」は王→周→正→月の順序、還元すれば、王があって、周があって、正があって、月があるのである。基本的に上のある文字が下の文字を支配するので、『伝』の「王の周」の通りであれば、「周」の字は「王」の字の支配下(外)にある。逆に杜預のように「周王の正月」ならば、「王」の字は「周」の字の支配下にあることになる。この文字の配列を考えるならば、杜預は『伝』の文意を読み誤ったものと言わなければならない。──なお「春王周正月」には複数の解釈があり、劉敞の批判はその一つに対するものにしかなり得ない。

(*4)「時王」は「当時の王様」のこと。周王朝の当時の王様、すなわち周の平王のこと。前節までの劉敞の指摘を念頭に置くならば、「周王の正月」であれば、周王=周の平王の正月と読むこともできるが、「王周正月」であれば、王は周の外にあるのだから、とても周の平王の正月とは読めないということになる。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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