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春秋権衡・左氏学派への批判(04)・隠公篇

「不書即位(即位を書せず)」(*1)。『伝』は「摂なればなり」といい、杜預は「公、即位の礼を行わざるが故に、史、書さず」というが、これは間違いである。

『伝』の思惑を推し量れば、ここで「書せず」と云うのは、『春秋』における仲尼の筆法──「書せず」──を指摘しようとしたのであろう。だから隠公に対しては〔仲尼が「即位」を書かなかった理由を説明して〕「摂なればなり」といい、荘公には「文姜の出ずる故なり」といい、閔公には「乱の故なり」といい、僖公には「公出でて復た入ればなり」といったのだ(*2)。しかしこれではまだ仲尼の意図を理解したことにならない。左氏は『春秋』にこの数君の即位が記されていないのを見て、私見でもって仲尼の意図を類推したにすぎない。そして杜預はこの解釈の不備を回避しようとして、「この四人の君主は朝廟告朔の礼(*3)を行っただけで、即位の礼は行わなかったからだ」(*4)と弁解したのである。しかしこれはまた何と真実味のない発言ではないか。

あるいは国家擾乱のおりとて、礼を行う余裕がなかったとでも言いたいのだろうか。それならばなぜ即位の礼のみを実施しなかったのだろう。朝廟告朔の礼を実施する余裕もないはずではないか。そもそも朝廟告朔の礼のどこが即位の礼と異なるというのか。即位の礼のどこが朝廟告朔の礼と異なるというのか。朝廟告朔の礼は、君主と百官が宗廟に集まって実施するものだ。ならば朝廟告朔の礼を実施する余裕があるのなら、〔君主が宗廟で百官に見える〕即位の礼についても、また実施する余裕があるのではないか。この種の杜預の発言は全くもって信用できない。

そもそも杜預は『伝』の主張をも理解しきれていないのだ。『伝』に「即位を書せず」とあるのは、言うまでもなく「仲尼が〔『春秋』に即位を〕書かなかった」という意味である。もし隠公と荘公が本当に即位していないのであれば、『伝』は「公の即位せざるは、摂なればなり」、あるいは「公の即位せざるは、文姜の出ずるが故なり」と言わなければならず、「即位を書せず」、あるいは「即位を称せず」と言ってはならないはずだ。さらに杜預は定公の初年に正月がないこと(*5)に注して、「公は未だ即位せざればなり」という(*6)。この発言によれば、公が即位すれば正月を書き得、逆に公が即位していなければ正月を書き得ないことになる。もし公が即位すれば正月を書き得、公が即位していなければ正月を書き得ないのであれば、隠公などの第一年には即位が書かれていないのに、なぜ正月が書かれているのだろうか。これでは自説でもって自説を破ったことになる。




(*1)『春秋』は魯侯即位の年の春正月に「公即位」を書くのを通例とする。しかるに隠公にはそれがなく、その理由をめぐって古来論争されてきた。以下、劉敞は『左氏伝』に対する杜預の注を批判する。

(*2)各々の元年春王正月に対する『左氏伝』を参照のこと。

(*3)朝廟告朔は、宗廟(祖先の御霊を祭った場所)で群臣とともに政務実施の礼を行うこと。

(*4)この杜預の解釈は劉敞が各所の記述を案じて意訳したもの。杜預による公即位例は、隠公、荘公、閔公、僖公の元年に見える。

(*5)いわゆる「定に正月なし」で、定公の第一年目に正月がないことを指す。

(*6)原文は「公未即位也」。ただしこれは劉敞の意訳で、定公元年春王条の杜預の注、すなわち「公の始年にして正月を書せざるは、公の即位、六月に在るが故なり」を指しているのであろうが、少しく劉敞の指摘と意味が異なる。

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