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春秋権衡・左氏学派への批判(05)・隠公篇

「公及邾儀父盟于蔑(公、邾の儀父と蔑に盟す)」。『伝』は「未だ王命あらず。故に爵を書せず。儀父と曰うは、之を貴べばなり」というが、間違いである。

そもそも諸侯は理由もなく盟(*1)を行ってはならないのに、〔邾と〕盟を行うことの何が善いことなのか。貶せられこそすれ(*2)、どこに貴ぶ理由があるというのか。

丘明は仲尼から『春秋』を受けなかった。そのため「儀父」が字であると知り心ひそかに惑いながらも、仲尼が素王の法(*3)を立てたことを知っていたがため、その虚説を継承し、道理の根本を推し量ることなく、「これを貴べばなり」と言ってしまったのだ。

そもそもこの出来事に対して、三伝はいずれも「儀父を貴べり。故に之に字す」と言う。その中、公羊のみは「『春秋』をもって新王に当つ」との学説を提起し、まだしも道理らしきものを立てているが、これとて結局は解釈に困難を来すものである。ましてや左氏と穀梁に至っては、そもそも「貴ぶべき」道理が存在しない。

また『伝』は「公、位に即きて好を邾に求む。故に蔑の盟を為す」(*4)と言う。この発言の通りであれば、友好関係を継続し、国民に安寧をもたらした功績は、魯に帰せられこそすれ、邾のどこに褒めるべき理由があるのだろうか。またこの後、『春秋』は桓公との盟においても「儀父」と言うが(*5)、このどこに善いことがあるというのか。




(*1)諸侯間で盟約を結ぶこと。伝説によれば、諸侯間で盟を行うにはいくつかの条件が必要であり、その条件を満たしていない盟は王法に反するものとして否定される。

(*2)『春秋』はそこに記した歴史的事件に褒貶(褒めることと貶すこと)を発したと言われている。春秋学関連の文献で褒または貶の字をいうときは、いずれもその意。

(*3)素王の法は公羊伝の学説。『春秋権衡』巻八に詳しい。下の「魯をもって新王に当つ」も同じ。

(*4)正確には「公、位を摂して好を邾に求めんと欲す。故に蔑の盟を為せり」である。

(*5)桓公十七年経の「二月丙午、公會邾儀父盟于趡」を指す。

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