スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雪待月雑筆

やばいな、三つ目でもうネタが尽きてきた。

1.この前のすばらしい言葉の出処
2.朱子全書外編
3.マーズ
4.中国思想関係の新刊
5.国文学研究資料館の宣伝
6.自慢の位相

※以下本文

1.この前のすばらしい言葉の出処

『関田駒吉歴史論文集』下冊の「塙検校と土佐人」の結語において、土佐についての「文化文政時代に於ける史学界の主なる労作を紹介し」、「要するに谷秦山の流れを汲む学徒が国家我を高唱し、古典に帰れの絶叫と共に、科学的歴史の研究法を塙検校に学んだといふに外ならぬ」ことを説明した最後に見える。

たゞ余言として附記したいのは、宮地仲枝の天保七年八月に於ける心境の変化である。当時仲枝は寺村成樹の別荘に於て古事記伝を会読してゐたが、一日秦山集を読んで感慨禁する能はず、其の日記に「今而後刻意於儒書、欲償愧悔万分一、非経書則不上机案、時六十九歳也、欲洗旧染而一新、抑又勉也哉」とあるは何んの故であらう。思ふに仲枝はあまりに記録の書に耽けり、あまりに和歌の会合に臨み、博捜の手を無暗に拡げて、我ながら指導精神の弛緩に気が附いたであるまいか。群書類従の感化も誤れば町学者を養成するのみである。(226頁。原文正漢字)



とある。たしかに深い言葉だ。

ちなみにこの『関田駒吉歴史論文集』上下冊はまだ高知市民図書館で購入可能らしい。発売は実に昭和五十六年(下冊)のことで、数百万部を印刷したわけでもなかろうから、長らく人に買われるでもなく在庫として残されていることになる。

関田駒吉氏(明治8-昭和14)については同『論文集』の解題(上冊)に詳しいが、要するに、土佐に生まれ、若くして海軍将校として活躍し、退役後に一転して土佐史学を志し、十年あまりの短期間で多くの業績を残して世を去った人である。本書を一読すれば関田氏の着実な研究振りは明白で、当地市井の学者に多大な影響を与えたことも容易に頷かれる。死後相当年が経つにも関わらず、こうして後学の手で論集が刊行されたことは、氏の業績を称える上からも、また当地における学者の気概を考える上からも、まことに人を感動せしむるものがある。

日頃から学者の著作にけちをつけることを生き甲斐としている私ではあるが、このような残されるべくして残された書物を批判する気はもとよりない。いまだ在庫が残ることについては、一抹の寂しさもないではないが、しかし無暗に成果をばらまくよりも、心から欲する人々の手にわたる方がよいだろう。そう考えれば、いまだ在庫があるというのは、これから氏の著作を読もうとする人間にとっては、むしろ喜ばしいことかもしれない。

2.朱子全書外編

ついに北九州中国書店でも宣伝を始めた。まだ特設ページはないので、中国語の関係頁でもリンクしておこう。

北九州中国書店のメールによると『外編』には以下の七種類の書物が収録されているらしい。

《書集伝》、《中庸輯略》、《程氏遺書》、《程氏外書》、《上蔡語録》、《南軒先生文集》、《韋斎集附玉瀾集》。



......ゴミのような、いやいや、貴重な書物ばかりだ。

書集伝  → 簡体字校点本あり
中庸輯略 → 校点本はなし......か。『朱子遺書』に影印本あり。
程氏遺書 → 『理学叢書』の『二程集』所収
程氏外書 → 同上
上蔡語録 → 『理学叢書』収録予定だったはず。さぞ薄っぺらい本になるだろう。
南軒先生文集 → 『張栻全集』所収(枠線が邪魔だった)
韋斎集附玉瀾集 → 調べたこともない

......正直いらん、いやいや、是非とも入手したいものばかりだ。朱子研究にとても頼りがいのある書物の出現に研究者のみならず一般学徒も大喜びだろう。中国はほんと素晴らしい編纂ばかりをしていて頭がさがる。予想外の壮挙に涙が出そうだ。

3.マーズ

迂闊だった。マーズの特別ルームがあったなんて。......といいつつ、私はバビル二世派だったりする。

4.中国思想関係の新刊

がミネルヴァ書房から出版されるらしい。『概説 中国思想史』という表題らしい。リンクははらない。ゆえあって人に見せてもらった直後、郵便受けにミネルヴァ書房から「ダイレクトメール」まがいの案内が来た。なぜ私の住所を知っていたのかは不明だが、まぁ人に勧めるような本でもあるまい。学者同士勝手にやっててくださいという感じ。

5.国文学研究資料館の宣伝

ちょっとでも関係ある内容だと、すぐに国文学研究資料館の宣伝が表示される。大学院で博士号をとろうとかなんとか。安心して欲しい。そんなことでは人は来ないから。人に来て欲しいなら簡単だ。人が必要とする学問を提供すればいい。こういう学問を身につけるべきだ、こんな学問は是非とも必要だ──そういう学問を研究所においておけば嫌でも人はやってくる。教えてくれと押しかけてくる。

それを「自分が好きだ=世の中に価値がある」という意味不明な理屈を振りかざして、少人数の身内同士で褒めあって、さも価値のあるように吹聴してみても、世間は冷たいものだ、そんなものに何の価値も認めてくれない。そういう人に求められないものを押し売りしようとするから、人がやってこないのだ。まぁ、研究所なんだから人が欲しくて仕方ない学問があるに決まってるのだから、はやくそういうのを売りにして欲しいものだ。

6.自慢の位相

価値のある本だからといって必ずしも売れるとは限らない。「売れる」の内容をバカ売れとでも規定するなら、たしかにそうだろう。もちろんこれは残念なことではない。が、価値がる本がバカ売れするとは限らないとはその通りだ。しかしこの逆は必ずしも成り立つとは限らない。売れない本が価値があるとは、とんでもない言いがかりだ。

たまに自分の好みや価値観にあう本が世の中に認められないと、価値のある本が売れるとは限らない、だから(自分の好みにもあわないのに)売れている本は価値がない、売れていないこの本にこそ価値があるという妙な言いがかりをつける人間がいる。第一の前提はそこそこ認められるにせよ、二番目以下は滅茶苦茶だ。それも趣味娯楽の本ならファン同士のこととあって愛嬌もあるが、真理だ何だとのたまいつつ自分の趣味を押しつけようとする態度には辟易する。

言うまでもないが、確信犯的にそういう発言をする人間はそれでかまわない。言っても無駄だし、そもそも私自身がそういう人間を好むから。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。