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陽明学とその文献

と、もっともらしいタイトルを付けてみたが、そんな大した話しをするつもりはない。

中国思想の中で、『論語』や『孫氏』といった諸子百家のものを除くと、日本で一般に知られているものはほとんどない。その数少ない中ではあるが、相対的に結構な知名度と人気を誇っているのが、陽明学ではないかと思う。陽明学の対(というわけでもないが)のはずの朱子学はというと、今一つ人気がない。これは誰かさんが封建反動思想だとかなんとか言ったせいかどうかは知らないが、ともかく陽明学というのは、妙に人気がある。

とはいえ、陽明学といって出て来るのは、王陽明(王守仁)その人の生涯か、『伝習録』であって、極めて稀に王龍渓(王畿)と王心斎(王艮)の名前が出て来る。試みに、心許ないウィキペディアで陽明学を調べてみると、陽明と龍渓と心斎には独立のページがあるようだが、その他の人物についてはページがないのはもちろんのこと、場所によってはリンクすら貼られていない。

ちなみにウィキペディアの「陽明学」の項目は、どなたが執筆なさったのか知らないが、ずいぶん熱の入った作られようである。というか、島田先生と荒木先生の合作のような出来になっているのは気のせいなのだろうか?

閑話休題。陽明学について語る場合、善かれ悪しかれ、黄宗羲の『明儒学案』がよく引かれる。こういうとツウの人から黄宗羲の独断的史観を頼るのは間違いだ!的な御言葉をいただきかねないが、その場合は「明朝の思想に見るべきもの、価値のあるものはなく、ただただ陽明学は不毛で誤謬に充ちた学問だった、ただ江戸の日本人に好む奴がいて、近代以後にも熱狂的なファンが一部にいただけだ」という、身も蓋もない結論になってしまう。だから陽明学を意味づけようとすれば、どうしても黄宗羲の『明儒学案』にいきついてしまう。別にそれが正しいというわけではなく。

で、便宜的に『明儒学案』を調べると、陽明学というのは、まず陽明と龍渓という陽明地元集団と、江西周辺の学者、そして泰州の一派(王艮の学統)の、大きく三派が存在する。そして黄宗羲の考えでは、この三派の中、陽明の正伝を受け継いだのは、江西の陽明学者だということになっている。

江西の陽明学者、江右王門と呼ばれる人々の中、主だった名前を挙げてみると、鄒東廓(鄒守益)、欧陽南野(欧陽徳)、聶双江(聶豹)、羅念菴(羅洪先)の四人が挙がる(本当は羅念菴ではなく劉両峯(劉文敏)だが、史料の関係で普通は羅念菴を挙げる)。これ以後になると、王塘南(王時槐)と万思黙(万廷言)、定宇(以瓚)あたりが大物として名を連ねる。『伝習録』でお馴染みの陳明水(陳九川)も江右王門に入るが、扱いは必ずしも高くない。ちなみに丸括弧内が姓名で、外のは姓+号である。

これに陽明地元の龍渓と、もう一つ、王艮の一派(泰州学派)が加わることになる。泰州一派は、今でこそ王学左派とか、陽明学左派とか、現成派とか呼ばれ、陽明学内部で有名になったが、黄宗羲の私見では、彼等は異端なわけである。もちろんこれが正しいかどうかは別である。

それはともかく、陽明学を扱ったちょっと高級所の本を読むと、大抵彼等の名前を見かける。彼らがいかに重要か力説されてある。しかし遺憾なことに、陽明学ファンには彼等の名前は届いていないらしい。もちろん陽明学の精神は『伝習録』にあるのだから、それさえ読んでおけばいいというのは一応の理屈だ。そういう行き方をするのが、陽明学者的な行き方、あるいは日本の陽明学者的な行き方なのかも知れない。

これに対して、「陽明学を語る以上、陽明とその高弟のことくらいは知っているべきだ」というのは、いかにもインテリぶった考えのようでもあるし、私も嫌らしいと思う。しかもそういうインテリ先生に一つ聞いてみたいのは、そもそも陽明学ファンがいかに陽明高弟の思想を知ろうと思っても、現実的にはかなり難しいのではないか、という根本的な問題だ。

仮に原典――即ち漢語で書かれたものであっても、例えば江西集団の場合、鄒東廓、欧陽南野、聶双江、羅念菴は前にも書いた『陽明後学文献叢書』に収められ、現在でもそれなりの値段で購入できるが、それ以外となるとなかなか面倒である。劉両峯はそもそも著作をほとんど遺さなかったので論外だが*、王塘南は『四庫全書存目叢書』に文集が取られており、私も機会があって拝見したが、彼の現存著作には巻数の違う文集が別に存在するため、本当に研究しようと思う人間には面倒なのだ。万思黙は尊経閣文庫に文集が収められており、孤本だとされており、京大と台湾と北京には尊経閣の影印本が収められている(私は未見)。定宇の文集は何種類かあるようだが、私が見たのは『文潔公佚稿』十巻で、何かの叢書に入っていた記憶がある。『明儒学案』収録の語録と相違があったので、他の版本も見る必要があるだろう。

一方、龍渓の文集は『陽明後学文献叢書』に収録されているが、王艮の全集は、実は簡単に入手できない。これ以外の学者は、江右といい、泰州といい、顔山農(顔鈞)や何心隠のような唯物的だとか何とかで評価された人間を除くと、原典すら容易に見ることができないのだ。見ようと思えば、大学の図書館へ見に行くしかないが、大抵この手の本は線装本だから専門書庫に収められてあって、普通の人は見られない。また影印本であれば複写不可だから(マイクロ可のところもあるが、値段が素晴らしい)、その場で読んで帰るという、神業を演じる必要が出て来る。いや、そもそも研究者でもない一般人が出向いていっても、門前払いされる懼れの方が高い。

これらは原典の話しだが、日本語訳となると、これはもう無いに等しい。日本語訳というべきか問題もあるが、一番多くの文章を収めているのは、『陽明学大系』の『陽明門下』上中下だろうと思う。これは上に挙げた王龍渓、王心斎、鄒東廓、欧陽南野、聶双江、羅念菴を中心に、周海門などの有名どころの文章を収めたものだ。ただし訳文は伝来の書き下し文で、まま読み誤りもある。では日本語訳はとなると、王心斎のものが『シリーズ陽明学』の一冊として出版されているくらいで、他はないに等しい。

こんな状態では、日本で陽明学について学ぼうと思っても無理だ。もちろんインテリ先生の書いた本だけを読んでおけばいいというのなら話しは別だが、我が日本ではやらせようとか、認知度を広めようとか思っているなら、まずは何よりも必要な文献が日本語で読めることが必要である。これは一見、英訳でいいではないかというグローバル化と反しているように思うかも知れないが、如何せん思想は人であり、人は大地に生きており、大地を離れて存在し得ず、結局はその地元に受け容れられるような形で思想を伝播していかなければ、思想そのものが広まらない、と私は思う。未来はともかく、少なくともここしばらくは。陽明学関連の著作を翻訳しようという奇特な人間でも現れない限り、日本には『伝習録』の思想しか流れないのだろう。

もちろん私は陽明学が嫌いなのだから、そんな紹介をしようとは露ほども考えたことはない。悪しからず。


* 劉両峯の史料は『明儒学案』に引かれる「論學要語」がほとんど唯一の史料である。もしかすると地元に何か残っているかも知れないが、私はそこまで興味がないし、調べようという気持ちもない。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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