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丙丁録

秦山集二十七

雑著

丙丁録

六正史、書房已に五史を印す。ただ日本後記のみ之無し。嘗て羅山集を見るに、斯の書の泯ぶを歎ず。今、人間に行はるる所の寫本は、則ち諸書を掇拾して之を纂むるのみ。原本に非ざるなり。

應神紀に云ふ、「皇太后、政を攝ること三年、立てて皇太子を為す」と。注に云ふ、「年三」と。又四十一年、天皇崩ぜる時、年一百一十歳と。重遠按ずるに、兩處の字に脱誤有り。三當に四に作るべし。十年の間、一の字を脱す。蓋し此の紀に曰く、「天皇、皇后の新羅を討つの年、歳は庚辰に次る、冬十二月を以て生まる」と。神功紀に曰く、「大歳辛巳、政を攝るの元年と為す」と。是れ則ち仲哀九年庚辰に生まれ、神功三年癸未に太子と為れば、正に四歳なり。崩じたまひし年、歳は庚午に次る。百一歳、疑ひ亡し。

貞享五年戊辰十月六日乙巳、元禄と改元す。

楠正成、湊川に死す。蓋し獻策の行はれずざるも、義去るべからざればなり。

山崎先生曰く、正成は諸葛孔明の亞と謂ふべきなり。藤房、官を辭せば可なり。僧と為るは何ぞや。

我國は櫻花を愛し、西土は牡丹を愛す。我國は鶴を嗜み、西土は牛を嗜む。兩國の習尚の同じからざること、多く此に類す。

松田左馬助、小田原に死せず。焉んぞ義と謂ふべけん。

左馬助、孝子傳の論、之を得。

毛受勝助、佐久間十藏、其れ幾ど靖獻の義に聞かんか。

天暦十年五月五日、佐々木大明神始めて近江國に居る。

近世の詩僧、虎關は黠豪、元政は細潤。

秀吉の李昭に檄する書、只だ是れ雷霆霹靂、激發奮撃す。朝鮮の君臣、固より已に膽落つ

内藤如安と沈惟敬、各々國體を辱むること甚だし。

朝鮮の役、黒田如水の一著甚だ高し。當時如し其の策に出ずれば朝鮮危うきかな。

茅明時が十策、甚だ功有り。

朝鮮に死節の臣無し。婦人の國と謂ふべきなり。

或ひと傳ふ、加藤清正の家士某、臨海君に護侍す。一日、從容として其の手書を請ふ。君、之を許し、乃ち筆して曰く、「秦軍を傾敗す、琰と玄と。情を矯めて顧みず、驛書の傳はるを。危を持て幸いに復た桓温死す。太傅の功名も亦偶然」と。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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