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谷真潮「神道本論」

神道なる者は、我が國の天皇、天下を治しめすの道なり。開闢の始め、神、其の中に生ず。是れ乃ち我が天皇の祖なり(國常立尊より伊弉諾尊・伊弉(冊)〔冉〕尊に至るまでを指す)。惟だ神にして亦た能く天神地祇に奉り若ひ、以て人倫を立て、以て邦國を定め、以て皇圖を固む。世々の天皇、斯の道に由る。故に天皇、衆庶に詔したまひしとき、其の始めに「明神御宇天下天皇」と稱さるるは、是の謂なり。

問ふて曰く、『易』に云ふ、「聖人、神道を以て教を設け、天下服す」と。神道、豈に惟だ我が國のみや。

曰く、然り。開闢の始め、天と人と隔て無く、人は即ち神、神は即ち人。神人、神の命を奉じて行う所、則ち神明の道。祭政に二致無し。故に西土の古周以前の如き(*1)、祖を祭るに天に配し、大事は必ず廟庭に決し、龜に謀り筮に謀り、言は必ず天と稱し、敢えては人為を用ゐざるなり。惟だ西土の古のみ然るにあらざるなり。天竺の佛を奉じ、南蠻の天主を尊び、北狄の龍祠を奉ずる、皆此の物なり。而して水土の靈に美惡有らんや。神人のに至ると至らざると有らんや。西土〔の若き〕、天皇氏沒し、地皇氏興り、地皇氏沒して人皇氏興る。堯舜の聖すら尚且つ國祚を無窮に期する能はざれば、則ち其の所謂神道なる者も亦た我が國の純粹至然に如かざるなり。

問ふて曰く、西土聖人の道、具に六經に存す。秦火に罹ると雖も、其の遺、見るべし。孔子集めて大成し、孟子述べて顯章し、漢・唐・宋・明の儒者、奉じて之を扶翼す。故に近くして心術の微、遠くして經綸の蘊、綱舉がり目張り、燦然著明、至れりと言ふべし。我が國の所謂神道の如き者、其の書、『日本書紀』『舊事本紀』『古事記』のみにして皆史なり。開闢以來の皇家の事(記)跡を叙述するに過ぎず。神代の事の如き、有るが如く、無きが如く、恍惚として典要と為すべからず。嘗て之を其の人に問へば、則ち曰く「是れ秘傳の存する有り」と(*2)。之を扣けば、則ち釋氏に假りざれば、則ち儒道に(傳)〔傅〕會す。理趣有るが如きと雖も、絶へて本文と關はらざるなり。之(*3)に由り之を觀れば、我が國に教えの道無きこと知るべきなり。宇宙の間、惟だ聖賢の道有るのみ。信ずべき學ぶべし(*4)。所謂神道なる者も亦た異端邪説の類なり。子以て何と為す。

曰く、神道は、先王、蒙以て正を養ひ(*5)、天下を治むるの道なり。高祖天神(伊弉諾尊・伊弉(冊)〔冉〕尊・天照大神を指す)、三綱を身につけて人紀を立て、三器を奉じて天統を定め、國土山川を祠り、民命を寄す。化深厚、天下の民、知らず識らず、帝の則に順う。儒佛の教、未だ中國に入らざれば、天下淨事無し。事無し、幾をか紀すべけんや。千年、此の道に從ふなり。至治の極なり。夫れ天下の民、識らず知らず、帝の則に順えば、訓誥戒勅、何に由りて興らん。庠序〔學〕校も亦た何ぞ設けんや。獸有りて陷阱を作り、魚有りて綱罟を結ぶ。化足らずして教法興り、大道廢れて仁義有る者なり。

西土の古、神道無きに非ず。三綱正されず、皇極凝まらず。故に禮樂政刑以て之を維持し、神道以て之を行ふ。故に世を經ること、亦た彼の如く悠久たり。周の衰うるに及び、神道亡びて禮樂壞れ、政刑も孤行せず(*6)。孔子、先聖の道を大成すと雖も、位を得ざれば、則ち其の以て之を行ふ所を見る無くして、諸弟子の傳うる所、徒だ其の理のみ。戰國に至るに及び、禮樂澌盡して法家興る。秦漢より以來、天下を治むもの、只だ理と法と有るのみ。儒者は理を執り、俗吏は法を執る。理愈々明らかにして俗愈々巧みとなり、法愈々密にして人愈々賊なはる。

夫れ理は見る所に隨ひて遷る者なり。法は操る所に由りて拘はるる者なり。故に理なる者は爭いの源にして、法なる者はの賊なり。理法興りて天下の民、手足を措く所無きなり。故に教の明らかに備はるは、善の善なる者に非ざるなり。〔識らず知らず、帝の則に順いて、而る後に善の善なる者なり。〕後世、神道を論ずる者、其の此の如きを知らず、神代紀に教の得べき無きを見るや、穿鑿附會し、力めて其の説を高うし、強ひて儒佛に抗行せんと欲す。其の本文と干渉せざること、怪しむに足る無きなり。而して今、余、之を言うも、亦た只だ理を以てする者なれば、人誰か之を信じん。嗚嗟、應神以上、雍々煕々、神化の内に生壯老死して、其の然るを知らざる者。今にして復た追うべけんや。

儒佛未だ中國に入らざるや、上下一心。天皇は天下に只だ我れ在るのみと謂ふ。民庶は四海の中、只だ君在るのみと謂ふ。他の尊き者有るを知らざるなり。儒佛入りて上下其の心を二三にす。天皇は別に教主の我より尊き者有りと謂ふなり。民庶は別に教主の現當に利益する者有りと謂ふなり。是れより厥の後、天皇は神武のを喪い、臣民は不一の心を懷き、天下騒然、世道日に降る。國史を觀れば知るべきなり。

曰く、然らば則ち後世に神道を學ぶこと、果たして如何。

曰く、皇家、國史を讀み、祖宗の澤、神業斯の如きを知れば、競々業々、三器を奉じ、天業を敬い守り、天の永命を祈る所以の道、自ずから已む能はざるなり。武家之を知れば、則ち皇室を翼(載)〔戴〕し、下土を鎭撫し、外侮を扞衛する所以の節、至らざる所無きなり。諸民之を知れば、則ち父子・君臣・夫婦の道、得て分に安んじ、業に樂しむの心、油然として生ず。凡そ書を讀む者、名分の統を吾が先神皇の道に歸し、其の學始めて謬らざるなり。然らざれば則ち禪讓放伐を以て道と為し、明心見性を以て學と為し、人々は(聽)〔聰〕明を以て政を為し、皇家の治を亂さざる者少なし。

測れざる之を神と謂ひ、畏るべき之を明と謂ふ。神明なる者は、理を以て〔論ず〕べからざる者なり。人知を以て測るべからざる者なり。洋々乎として其の上に在るが如く、其の左右に在るが如し。人誰か之を測らん。孔子曰く、「精氣を物と為し、遊魂を變と為す」と。亦た既に頗る發す。宋儒に至りては、逎ち云ふ「二氣の良能なり。造化の迹なり」と。宋儒は窮理を以て學と為す。故に之を言ひて忌憚せず、而して神明の道荒れたり。其の來格説に曰く、「祖宗の精神なる者は自家の精神、自家の精神は即ち祖宗の精氣。故に只だ吾が誠敬を盡くせば、精神孚に感じて神其の庭に降るなり」と。夫れ自家の誠敬の至ると至らざるとを以て、神の格ると格らざると為すや。神のと為す、亦た淺からざらんや。故に理を以て神明の道を論ずる者、皆天を畏れざるの類なり。

『日本紀』に事實有り、因縁有り。人皇紀なる者は事實なり。神代紀は因縁なり。神代(記)〔紀〕の中、事實と因縁と錯綜して成るなり。之を知りて後、始めて讀むべきなり。夫れ事實なる者は、疑うべき者無きなり。而して因縁なる〔者〕は、自ずから此の事實有り、而して其の然る所以を推言する者にして、只だ當に之を仰信すべく、而して強いて其の説を求むべからざる者なり。太古の事、神人口傳、什一を仟佰に存す。帝皇の系、開闢の上に○(*7)れば、則ち詳らかにし難き者有るなり。故に舎人親王、『日本紀』を書きたまひ、神代紀に至りては、則ち諸説を併舉し、少しく異なるのみと雖も捨てざるは、詳らかにし難き者有りと為せばなり。敬の至りなり。而るに後世之を讀み、西土の書(*8)の看と為し、強ひて其の説を求めんと欲し、一々其の義を疏し、穿鑿に渉らざる者蓋し少なし。

曰く、然らば則ち國常立尊以下、説く者或いは五行の神と為し、或いは國土成熟の次序と為す。彼れ皆非か。

曰く、然り。既に列して祖宗と為し、載せて帝系に在れば、假令ひ五の神を祭り、國土の靈を祭るとも、祖と為る所以の本意を外にし、私に之が説を作して可か。蓋し國常立尊・國狹土尊・豐斟渟尊〔の三世〕、荒鴻の世、夫婦の道未だ立たず。故に乾道獨化するなり。埿土煮尊より惶根尊に至るまで、夫婦を合わせ、天地相參ずるも、功用未だ見えざるなり。伊弉諾尊・伊弉(冊)〔冉〕に至りては、天神の命を奉じ、降りて下土を治め、三綱を敬いて人紀を立て、國土を經営し、民養を厚うし、天地に請い禱い、聖子を生み、業を授け統を垂れ、孫子繩々、千億萬祀、常に此の國に主たり。實に天地とを合わせるの神皇なり。嗚呼、盛んなるかな。

()〔〕:()は底本、〔〕は改訂文字。
(*1)宮地家本は「西土の如き、古周以前」に作る。
(*2)『南路志』は「秘傳有り而して存す」に作る。
(*3)宮地家本は「是」に作る。
(*4)宮地家本は「惟聖賢之道、可信可學耳」に作る。
(*5)『易』蒙の彖辭。
(*6)不詳。
(*7)氵+厥。宮地家本、欄外に「恐遡誤」と有り。
(*8)宮地家本は「西土經書の看」に作る。

『北渓集』巻下所収。他に『土佐國群書類從』巻123下(詩筆部6)、『南路志』所収。文中の宮地家本は宮地家資料(高知県立圖書館)所収の神道本論を指すが、ここでは矢崎浩之「神道家としての谷真潮」(『いわき紀要』第23号、平成6年)所載の資料を用いた。

神道本論は真潮の草稿が残っており、現行本とおびただしい異同がある。とはいえ、本旨は現行の神道本論と同じなので、ここではいちいち注記しなかった。そうそう言うまでもなく原文は漢文。日本人の漢文なのでどことなく読みにくいところがある。読み間違えた部分もあるだろうから、下に原文を掲げておく。上にも書いたとおり草稿との異同は省略。


********************************
神道本論

神道者、我國天皇治天下之道也。開闢之始、神生其中矣。是乃我天皇之祖也(指自國常立尊至伊弉諾尊・伊弉冉尊)。惟神而亦能奉若天神地祇、以立人倫、以定邦國、以固皇圖。世々天皇、由斯道、故天皇詔衆庶、其始稱明神御宇天下天皇、是之謂也。

問曰:『易』云「聖人以神道設教而天下服。」神道豈惟我國而已耶。

曰:然。開闢初、天與人無隔、人即神、神即人。神人奉神之命所行、則神明之道、祭政無二致。故如西土周以前、祭祖配天、大事必決廟庭、謀龜謀筮、言必稱天、不敢用人為也。不惟西土之古然也。天竺奉佛、南蠻尊天主、北狄奉龍祠、皆此物也。而水土之靈、有美惡歟、神人之、有至不至歟。若西土、天皇氏沒、地皇氏興、地皇氏沒、而人皇氏興、堯舜之聖、尚且不能期國祚於無窮、則其所謂神道者、亦不如吾國純粹至然也。

問曰:西土聖人之道、具存六經。雖罹秦火、其遺可見。孔子集而大成、孟子述而顯章、漢唐宋明之儒者、奉而扶翼之、故近之心術之微、遠之經綸之蘊、綱舉目張、燦然著明、可言至矣。如我國所謂神道者、其書『日本書紀』『舊事本紀』『古事記』耳、而皆史也。不過叙述開闢以來皇家之事跡也。如神代之事、如有如無、恍惚不可為典要。嘗問之其人、則曰:「是有秘傳存。」扣之則不假釋氏、則(傳)〔傅〕會儒道。雖如有理趣、絶與本文不關也。由之觀之、我國無教之道可知也。宇宙之間、惟有聖賢之道、可信可學耳。所謂神道者、亦異端邪説之類也。子以為何。

曰:神道先王蒙以養正、治天下之道也。高祖天神(指伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神)、身三綱而立人紀、奉三器而定天統、祠國土山川、寄民命、化深厚、天下之民、不知不識、順帝之則。儒佛之教、未入中國也、天下淨無事、無事可紀幾乎。千年從此道也。至治之極也。夫天下之民、不識不知、順帝之則、訓誥戒勅、由何興、庠序學校、亦何設耶。有獸而作陷阱、有魚而結綱罟、化不足而教法興、大道棄而有仁義者也。西土之古、非無神道、而三綱不正、皇極不凝、故禮樂政刑以維持之、神道以行之。故經世亦如彼悠久。及周之衰、神道亡而禮樂壞、政刑不孤行、孔子雖大成先聖之道、不得位、則無見其所以行之、而諸弟子之所傳、徒其理耳。及至戰國、禮樂澌盡、而法家興矣。自秦漢以來、治天下、只有理與法耳。儒者執理、俗吏執法、理愈明而俗愈巧、法愈密而人愈賊。夫理隨所見遷者也。法由所操拘者也。故理者爭之源、而法者之賊也。理法興而天下之民無所措手足也。故教之明備、非善之善者也。不識不知、順帝之則、而後善之善者也。後世論神道者、不知其如此、見神代紀無教之可説也、穿鑿附會、力高其説、欲強抗行儒佛、其與本文不干渉、無足怪也。而今余言之、亦只以理者、人誰信之。嗚嗟、應神以上、雍々煕々、生壯老死於神化之内、而不知其然者。今而可復追乎哉。

儒佛未入中國也、上下一心、天皇謂天下只我在矣、民庶謂四海之中只君在矣。不知有他之尊者也。儒佛入而上下二三其心。天皇謂別有教主尊於我者也。民庶謂別有教主利益現當者也。自是厥後、天皇喪神武之、臣民懷不一之心、天下騒然、世道日降。觀國史可知也。

曰:然則後世學神道、果如何。

曰:皇家讀國史、知祖宗澤、神業如斯、所以競々業々、奉三器、敬守天業、祈天之永命之道、自不能已也。武家知之、則所以翼戴皇室、鎭撫下土、扞衛外侮之節、無所不至也。諸民知之、則父子君臣夫婦之道、得而安分、樂業之心、油然生矣。凡讀書者、歸名分之統於吾先神皇之道、其學始不謬也。不然則以禪讓放伐為道、以明心見性為學、人々以聰明為政、不亂皇家之治者少矣。

不測之謂神、可畏之謂明。故神明者、不可以理論者也、不可以人知測者也。洋々乎、如在其上、如在其左右、人誰測之焉。孔子曰:「精氣為物、遊魂為變。」亦既頗發矣。至宋儒、逎云:「二氣之良能也。造化之迹也。」宋儒以窮理為學、故言之不忌憚、而神明之道荒矣。其來格説曰:「祖宗之精神者、自家之精神。自家之精神、即祖宗精氣。故只盡吾誠敬、則精神感孚而神降其庭也。」夫以自家之誠敬至不至、為神之格不格乎。為神之、不亦淺哉。故以理論神明之道者、皆不畏天之類也。

『日本紀』有事實、有因縁。人皇紀者、事實也。神代紀、因縁也。神代紀中、事實・因縁錯綜而成焉。知之而後、始可讀也。夫事實者、無可疑者也。因縁者、自有此事實、而推言其所以然者、只當仰信之、而不可強求其説者也。太古事、神人口傳、存什一於仟佰、雖帝皇之系、[氵厥]開闢之上、則有難詳者也。故舎人親王書『日本紀』、至神代紀、則併舉諸説、雖少異不捨、為有難詳者也。敬之至也。而後世讀之、為西土經書之看、欲強求其説、一々疏其義、不渉穿鑿者蓋少矣。

曰:然則國常立尊以下、説者或為五行神、或為國土成熟之次序、彼皆非歟。

曰:然矣。既列為祖宗、載而在帝系、假令祭五行之神、祭國土之靈、外所以為祖之本意、私作之説而可乎哉。蓋國常立尊・國狹土尊・豐斟渟尊三世、荒鴻之世、夫婦之道未立、故乾道獨化也。埿土煮尊至惶根尊、夫婦合、天地相參、而功用未見也。至伊弉諾尊・伊弉冉、奉天神之命、降治下土、敬三綱而立人紀、經営國土、厚民養、請?天地、生聖子、授業垂統、孫子繩々、千億萬祀、常主此國、實與天地合之神皇也。嗚呼盛哉。


草稿と比較すると大差ないものの、宣長っちがいちゃもんをつけたところとか、いろいろとおもしろい発見がある。興味のある人はぜひ直に資料を見ていただきたい。

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