スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

春秋繁露

春秋繁露十七巻

永楽大典本

(漢)董仲舒の撰。

書名の「繁」は「蕃」に作ることもある。かつては通用したのであろう。書名の由来は判然としない。『中興館閣書目』は「繁露とは冕の垂れること、すなわち玉が連なり垂れる様子を喩えた言葉である。春秋は比事属辞〔──事と辞を連ねてその意味を探る学問〕である。それ故、書に名付けるに冕の垂れる様子を借りたのではあるまいか」というが(*1)、これも推測の域を出ない。本書は公羊学説を用いて春秋の旨を発揮したものである。しかし陰陽五行について論究することも多い。

さて董仲舒の本伝を検するに、その著として『蕃露』、『玉杯』、『竹林』の名があがっている。ところが現行本『繁露』は『玉杯』と『竹林』の二書をもその中に取り込んでいる。『崇文総目』はこれに強い疑念を示し、程大昌に至ってはさらに厳しい批判を向けるにようになった(*2)。しかし本書の内容を観たところ、その全てが董仲舒の作とは言えないにせよ、道理にもとづく根拠ある言葉が多く、とても後人の依託できないものである。

本書は宋代において既に四種の系統があり、その分量にも相違があった。その後、〔南宋の〕樓鑰の校訂本が出るに及び、それが定本となった。樓鑰本はもともと三篇を闕いていた。ところが明人がこれを再版したとき、さらに第五十五篇および第五十六篇の冒頭三百九十八字、第七十五篇の一百七十九字、第四十八篇の二十四字を闕き、第二十五篇に一頁の顛倒が生まれ、こうして読むに堪えない書物になってしまったのである。その他、明版には数えきれないほどの誤字脱字が存在する。海内の蔵書家がその完本を目にし得ぬこと、今に至るまで実に三四百年に及ぶありさまであった。

ところが、このたび〔『四庫全書』の編纂において〕『永樂大典』に収むるところの樓鑰本を編集し、詳びらかに校訂を施し、〔現行本に対して〕一千一百二十一字の増補、一百二十一字の削除、一千八百二十九字の改定をおこなった。かくして神明煥然(*3)、にわかに旧来の面目にもどったのである。世にその名を知られた書物だとは言いながら、その実、絶えて世に存在しなかったものである。幸いにも文学を崇ぶ聖朝の御代にあたらねば、そして既に亡びたる典籍をまた甦らせることがなかったならば、この十七巻の書物も朽ち果てることになっただろう。なんという奇遇であろうか。

〔四庫官案語〕

さて『春秋繁露』は主として春秋にもとづき立論した書物である。しかし経義に無関係のところも多く、実際は『尚書大伝』や『韓詩外伝』と同様のものと言える。従来、経解の一書目として扱ってきたが、適切な処置とは言えないだろう。この度は本書を〔経部春秋類正目の〕附録に配することにした。

右、春秋類一百十四部一千八百三十八巻、附録一部十七巻、いずれも文淵閣『四庫全書』に収録した。

(*1)『玉海』巻四十所引中興館閣書目。繁露は『逸周書』王会解に見える言葉で、孔晁の注に「繁露、冕之所垂也」とあるのによる。
(*2)『文献通考』所引演繁露、『経義考』巻一百七十一所引。
(*3) 四庫官が『永楽大典』から比較的著名な書物を復元したときに用いた言葉。他に『方言』や『水経注』、『麟台故事』がある。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。