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現代語訳探しを見て思うに

ネットは便利だが、都合のいい資料が落ちているわけでなし、よしんばあったとしても、それを料理する能力がなければ無用の長物となる。役立つほどのものは大概作るのに時間がかかり、したがってそれ相当の対価を得られるのでなければ実を結ばない。

例えば、中国古典にしても、原文は比較的あちこちに転がっている。しかしその解釈や訳となると、ここかしこにあるわけではない。またあったにしても、文庫などで容易に手に入る他人の訳を自己流にアレンジしただけのものはそこらに転がっているが、自分で原文から訳さなければならない面倒くさいものはほとんどない。

そういうものを知りたければ、自分で大金をはたいて高価な訳本を手に入れるか、あるいは自分の足をつかって遠い図書館まで出向くか、原文を見ただけで内容を理解できる技術を身につけなければならない。もちろんこの種の技術を身につけるには人生を棒に振る覚悟が必要になる。

しかしいまどき中国古典が人生にどうしても必要だという人はいないだろう。おそらく別の理由で必要なのだろう。だったらおとなしく自分の能力で原文を解釈し、本番で出来る人の知恵を仰ぐなり叱責を買うなりした方がいい。おそらく人生の為には全くならないだろうが、翻訳を探してネットをかけまわるより、少なくとも時間の節約くらいにはなる。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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