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黒い京子はいい

でも狂った京子はもっといい。

ということで、いろいろな感想があるのは分かるし、それに文句をいうつもりは全くないが、今期唯一視聴しているものの中、個人的には予想外に京子が頑張ってくれてよかったというお話。できればもう少し活躍して欲しかったが、死んでないのでよしとしよう。今後も出てきて頭のいかれたところを見せて欲しいものだ。

打って変わって別の話。

死というのは魅力的な響きがしないではない。もちろん人にむかって死ねとかいうつもりは毛頭なく、あくまでも自分に向かっての話ではあるが、なんとはなし、それですべて終わりに出来そうな気がする。いや、私の死生観(宗教観?)からすれば、死ねば終わりだと信じてやまない。

とはいうものの、前にも書いたが、死について思うとき、秦山の次の言葉がどうしても私の頭を離れないのもまた事実だ。

一日,野遊に従いし時,潮江の人家の奴婢心中の事あり。先生(秦山のこと)曰く,「昨,心中する者あり。聞くや。」曰く,「聞けり。」曰く,「奴婢すらなお能く事理の逼るに臨みては,死してもって心中を明らかにす。然らば則ち死は難事に非ざるなり。ただ能く死さずして節義を全うす。是れ可。」



この種の文献に慣れない人は言い方に嫌気がさすかもしれないが、それはそれとして、当時の感覚からすれば奴婢なんてのは人間的価値の最もない連中だったわけだから、その連中すらして然りとすれば云々となるのは、理の当然といえる。では秦山のいう節義とは一体なにかというのが問題になるが、ここらは秦山が野中継善に与えた書簡あたりが手がかりになるのではないかと思う。この書簡は、なんとかいちど「美しい」日本語に翻訳したいと思いつつ、学力とか文章力とか語彙力とかの関係でついぞ念願かなわずにいる代物だったりする。


おお!知らなかった、ブクログにも青空文庫のデータが流れていたのか。だったら高畠さんの文献を流しても問題あるまい。さっそく着手しよう。


そうそう、書くのを忘れていたがようやく全訳漢辞海を入手した。予告のとおり新常用漢字表に対応した以外に大きい変更はなく、附録のページが少し厚くなった程度にとどまる。総じて初版から第二版に移行したときのような衝撃はなかった。急いて第二版から乗り換える必要はないかもしれない。親字数が少なめなのが残念なところ。でもいい辞典であることには変わりないので、第二版はすぐ棄てて今後は第三版をつかっていこう。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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