スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

四庫提要など

> 集会

そもそも政治的な自由以外の自由がそこそこ存在するところで革命もへったくれもあったものじゃない。が、いちおう取り締まってるふりをしておくことが放っておくことより利益があるという判断だろう。まぁ外国のことはいざ知らず、偉大なる神の国の新聞は、数十人の「熱血漢」が集まっただけでも「大規模な革命運動」とか囃しそうですな。それはそれで楽しいことながら、それに熱くなる人を見るのは煩わしいので、やはり取り締まっておいて正解ではあるまいか。

1.四庫提要

このまえ殿版と浙江本とで四庫全書の総目提要に差があることを知ったというか思い出したのだが、むかし読んだ春秋類の底本は何だったかな。作業の工程から考えて殿版を使ったと思うのだが。でも、覚えているかぎり、浙江本(中華書局本)を常時参照していたはずだ。でもって、異同がある場合は、気分によって殿版を用いたり、浙江本を用いたりしたのではなかっただろうか。

......我ながらいい加減なはなしだ。やはり版本間の異同ははじめに調べておくべきなんだな。いちおう言い訳めいたことを言っておくと、当時は私も多分に漏れず浙江本は殿版を(校訂した)重刻本だと思っていたので、殿版を底本にしつつも実質的には浙江本で読んだように思う。んで、気持ち悪いところだけ殿版に順ったという感じだったのではないかなあ。

これから最終的な校正に入る予定だけど、今度は薈要提要も参照してみるつもりだ。まあ薈要提要はそこそこ異同が大きいので、校正には使えないのだけども。できれば文遡閣と文津閣の書前提要も利用したいところだが、さすがに見る機会がないのでこれはあきらめる。もちろん紀の手校本とかいうのも利用しない。

そうそう武英殿聚珍版叢書にも八種類ほど収録されているのでその提要も見ておく必要がある。この前は見るのを忘れていた、というか、見る時間がなかった。いちおう目録上では:

春秋釋例附校勘記十七卷(杜預)
春秋集傳纂例附校勘記十一卷(陸淳)
春秋傳説例一卷(劉敞)
春秋經解十五卷(孫覺)
春秋集註四十卷(高閌)
春秋攷十六卷(葉夢得)
春秋辨疑附校勘記五卷(蕭楚)
春秋繁露附校勘記十九卷



が入っている。しかし私が見られるのは百部叢書集成本なので春秋集伝纂例と春秋繁露は見られない。

ということで、資料完備の研究室で作業するわけではないので粗雑にはなるが、その分こちらが手を抜けるので楽といえば楽で結構なことだ。まぁ読む人がおらんので言えることではあるが。

2.儒蔵の刊行予定書目の春秋総義之属

もう一つ春秋学関係の話。いわゆる儒蔵の刊行予定書目の春秋総義之属に以下の九種類があがっている。

春秋集伝纂例 陸淳
春秋権衡 劉敞
春秋集注 張洽
春秋経解 孫覚
春秋伝 胡安国
春秋尊王発微 孫復
春秋本義 程端学
春秋集伝 趙汸
春秋大全 胡広等



ここらは各々の見識をもって収録書を定めたのだろうから、こちらがどうこういうことではないが、私とは見方が違うようではある。このなか陸淳の纂例と劉敞の権衡、胡安国の伝は外せないが、それ以外はちょっと疑問がないでもない。

もちろん程端學以外は収録されても全くおかしくない人々ではあるのだが、張洽を入れるなら陳傅良の後傳の方が、程端學を入れるなら呂祖謙の集解の方が、大全よりは汪克寛の纂疏の方がいいように思う(大全は他の経解との関係で外せないのかも知れないが)。

呂祖謙の集解を入れるのであれば、張洽の集註と孫覺の経解は不要になる。空いた分に趙鵬飛の經筌でも入れた方がたのしい。その他、趙汸の研究は集傳より屬辭の方が価値があるのではなかろうか。あとスペースがあれば呂大圭の五論と、ずっと時代がくだって張應昌の属辞弁例編がほしいところ。属辞弁例編はスペースの関係上無理だとは思うが。

まあ買わない奴がああだこうだいっても意味のないことではある。

3.あけすけ

......「BD&DVDを買って第二期を実現させよう!」ってあるけど、あけすけな言い方だなー、実に好感が持てる。人との挨拶もこのくらいあけすけにいきたいものだな。

いかんいかん

萬斯大の學春秋隨筆についてコメントしようと思っていたが、なにやらそういう研究をしたのか志したのかしている人がいるらしいので書くのは止める。


日本が宗教に寛容なのは宗教が政治に介入しない場合だけだと思うが。逆に言えば政治が宗教の役割を果たしているというか。日本人相手にその人の宗教を尋ねることはあるが、その人の政治信条や支持政党を聞くことはまずない。聞けば対立が起こるのは必死だからだ。

春秋学のレトリック

もっともらしいことを書こうと思ったがやはり止めた。

春秋権衡を読んでいると、いや、大概の春秋関係の書物を読んでいると、三伝の批判に勢力を費やすものが多い。しかし遺憾なことにそれらの大半は「逆は必ずしも真ならず」を是認すれば否定できる。彼ら批判者の謂が正しいのであれば、命題が真であれば逆もまた真でなければならない(場合によってはさらに裏も真でなければならない)、ということになる。劉敞のように発言そのものに凄みのある場合はともかく、単に三伝を批判しただけで、しかも上のような幼稚な論述をされると、とても読む気になれない。

もちろんこの種の発言をする理由を執拗に追跡すれば、もっともらしい理屈をねじ上げられないではないし、中国の特殊性ならぬ中国的論理とかそういう意味のよく分からないものも錬れるだろうが、無理にそんなことをしなくてもいいだろう。自分が好きなものだからといって、不得手なところで無理に評価する必要もあるまい。もし春秋権衡の訳がまとまるようなことがあれば、「歴代春秋学に燦然とその名を輝かせる劉敞の批判とは、かくも驚くほど幼稚なものだった」と率直に書いてやりたい。......まあ今のままだと訳は完成しないだろうけど。


※その他

「長生きしたくない」と考える若者が増加中!

私は既に若者ではないが長生きはしたくないな。それにしても最近の年よりはいちいち文句が多い。もう少し反省という言葉をかみしめてみたらどうだろうか。だいたい責任は責任者がとるものでヒラがとるものではない。ヒラがうまく動かないのは指揮官が愚かだからだ。今の若者はという暇があったら、自分の無能指揮官ぶりでも嘆いたらどんなものか。


三礼通釈

というのがある。礼学の名著かどうかはさておき、そこそこ有名なもので、数年前に全二冊の影印本が発売された。かなりの高額だったので購入はあきらめたが、最近になって四庫未收書輯刊の第二輯第八冊と第九冊に収録されていることを知った。知ったからといって未収書輯刊をもっているわけでなし、あまり意味はないのではあるけども、知ったついでに書いておく。


詭弁

詭弁っていろいろ種類があるんだなあ。ほとんど使ったことあるような気がする。

メモ

宋代の春秋学には、やたらと春秋時代の事件や人物を批判したがる傾向がある。もちろん解釈上においては「孔子が筆誅を加えた」という形になるのだけど、実際は宋代の注釈者がそういう解釈をしたというに過ぎない。さすがに春秋学的権威の崩壊した現在では宋代春秋学の特徴の一つに数えられるくらいで済まされるが、清代の学者からずいぶん罵倒されたものだ。

清代の学者が批判すると言うことは、その元締めのような四庫提要にも当然ながらその種の指摘が頻出する。そんで四庫提要を訳すとき、これにどのような訳語をあてるか決められずにいたところ、この前、刑法の本を読んでいたら必罰主義とか厳罰主義という単語があった。宋代のは厳罰主義といえば厳罰主義だが、どちらかというと必罰主義に近いので、この言葉なはなかなつかえそうだ。

ということで、今後この種の言葉が登場したときには必罰主義と訳してみることにした。

以上、単なるメモです。

欧陽修「春秋論」上

伝統ある二つの学説があり、遺憾なことに、それらが対立している場合、我々はどちらの学説に従えばよいのだろうか。もちろん信用できる方に従わなければならない。では、どうすればそれを見分けられるだろうか。人を見るに越したことはない。衆多の一般人があのように発言し、君子がこのように発言したのなら、衆多の一般人の意見を捨て、君子の意見に従わなければならない。なんといっても君子は世の中のことをよく知っている人々だからだ。しかし君子とはいえ、知らないこともあれば、間違えることもあるだろう。だから君子があのように発言し、聖人がこのように発言した場合は、君子の意見を捨て、聖人の意見に従わなければならない。これは世の中のだれもが知っていることだ。ところが春秋学者だけは違うのだ。

孔子は聖人だ。あらゆる時代を通じて、最も信頼できる人間だ。一方、公羊高、穀梁赤、左氏の三人は、世の中のことをよく知った君子たちではあるが、彼らの著した三伝には、残念ながら間違いがないではない。ところが聖人の経と三氏の伝とが異なる学説を唱えたとき、春秋学者は、こともあろうに経を棄てて伝に従うのだ。孔子を信じるのではなく、三人の君子たちを信じるというのだ。なんと無茶苦茶なことではないか。

例えば、魯の隠公が君主であったか否かについて、孔子は「公、邾の儀父と蔑に盟す」と言うばかりか、隠公の死に対して「公、薨ず」と記している。孔子はずっと隠公を「公」、すなわち魯の正式な君主とみとめていた証拠だ。ところが三君子は「隠公は魯の正式な君主ではない。摂政だった」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子の意見に従わず、なんと三君の意見に靡いてしまうのだ。隠公は魯の正式な君主ではない、摂政だったと信じてしまうのだ。

同じ例は他にもある。晉の霊公について、孔子は「趙盾、その君夷皐を弑す」と記している。ところが三君子は「趙盾が弑したのではない。趙穿が弑したのだ」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子の意見を信じることなく、三君子の意見を信じてしまうのだ。趙盾が弑したのではない、趙穿が弑したのだと信じてしまうのだ。

まだ他にもある。許の悼公について、孔子は「許の世子止、その君買を弑す」と記している。ところが三君子は「世子止が弑したのではない。買は病気で死んだのだ。ただ世子止は薬の検分に失敗し、その結果、買を死に至らしめてしまっただけだ」と主張する。すると世の春秋学者は、孔子を信じることなく、三君子に靡いてしまうのだ。そして世子止は買を弑したのではない、薬の検分に失敗しただけだと信じてしまうのだ。

世の春秋学者が孔子を棄てて三伝に従うのはなぜだろう。経は簡潔直裁だが、伝は奇抜で新味があるからではないか。なぜなら簡潔直裁な文章は人に楽しみを与えないが、奇抜で新味のある文章は人の耳に心地よいからだ。そして心地よい言葉に、人は心を惑わされてしまうのだ。なにも私は絶対にそのような言葉に惑わされないと言うのではない。しかし私は篤く孔子を信ずる人間だ。だから経に記されたことは信用する。しかし経に記されていないことは、あえてその是非を判断しようと思わない。

私の意見に批判的な人々は指摘する。──君は含むところがあって、そのようなことを言うのだ。そもそも三君子はみな聖人から学んだ人々だ。そして彼らの著した三伝は、経の言わんとすることを伝えたものだ。経の文章は隠微で奥深い。三君子はその奥義を我々に解き明かしてくれたのだ。だから経に記されないことまでも、三伝には記されているのだ。経と三伝は対立するものではない。

ならば私は彼らに聞きたい。聖人の判断が示されてもいないのに、三君子はどうやってその是非を知り得たのか。

彼らの答えはこうだ。──経文の前後の記述から判断したのだろう。それに伝え聞くところがあったのだ。例えば、一国の君主になるためには必ず即位の儀式が必要だ。ところが隠公には即位の記事がない。だから三君子は知ったのだ、隠公は摂政だったと。趙盾の弑君もこれと同じだ。君主を弑したものは、二度と経に名を記されない。ところが趙盾は君主を弑した後も経に名が記されている。だから三君子は知ったのだ、趙盾は君主を弑していないと。世子止もそうだ。君主が弑され、しかも弑した賊が討伐されない間は、その君主の葬は経に記されない。ところが許の悼公は世子止に弑され、しかも世子止が討伐されてもいないのに、経にその葬が記されている。だから三君子は知ったのだ、世子止は本当に弑したのではないと。経の文章は隠微だが、三伝は詳細に真相を語ってくれる。だから世の春秋学者は考えるのだ、三伝こそは聖人の深意を説いたものだと。だから人々は三伝の意見に耳を傾けるのだ。しかし勘違いしてはいけない。これは何も孔子を棄てて三伝に従うものではない。

私は言いたい。みだりに聖人の心を語り、世の学者を惑わした罪は、三君子にある。とはいえ、もし春秋学者が三君子を信じるというのなら、もはや私にはどうすることもできない。しかし、もし世の正しきを追求するというのなら、私は真実のためにあえて戦わなければならない。



欧陽修の春秋論。全三篇。これはそのうちの上篇、すなわち問題提起にあたる。これは宋代の春秋学を語るには欠かすことの出来ない論文で、いかにも素人を思わせる単純さを備えながら、その核心をとらえて離さないのは、さすがに欧陽修といったところだろうか。論文後半、三つの例題が示され、ああだこうだ論じているが、あまり気にする必要はない。要するに、欧陽修の所論は、聖人は正しい、だから聖人の作った経書は無条件に正しい、以上につきる。聖人原理主義みないなもので、気持ち悪いことこの上ないが、こういう気色の悪い考えかたが発展して、儒学は新しい一歩を踏み出すに至るのだった。

ちなみにこの論文が世に出たとき、春秋学の最先端の世界では、この種の発想は常識と化していた。問題はそれをどうやって技術的に証明するかにかかっていた。だから時代遅れといえば言えないではない。しかし世の一般読書子に語りかけるにはちょうどよかったのだろう。もっとも、これから数百年後も結局はあまり変わっていないのだけれど。

今回はいつもより思い切って訳してみた。

カレンダー
04 | 2017/03 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
プロフィール

awatan

Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

自営サイト
最近の記事
カテゴリー
リンク集
全記事表示

全ての記事を表示する

FC2カウンター
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。