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権衡206

二〇六 六年、「晉殺其大夫陽處父」。左氏曰:「侵官也。」按左氏此事始末,罪處父,獨有稱趙宣子為能耳。改蒐易將,凡出晉侯,何以謂處父侵官邪。人君任賢不稱,必將致敗。苟食禄者,舉當諫君。況處父晉國太傅邪。事有不便,言之□矣【校1】。以此為侵官,是教大臣拱黙也。左氏又曰:「陽子,成季之屬也。故黨於趙氏。」此欲致其法,必以侵官塗汚處父耳【校2】。凡言黨者,謂其陰私比周,不以正舉者也。若舉不失人,亦何謂黨乎。如處父之舉趙盾,趙盾卒為良大夫。其退賈季,賈季卒為亂而奔。皆可謂當矣。非故有所厚薄也。春秋豈忽于此貶之邪。如使大臣見賢而舉,謂之侵官,見賢而不舉,乃其職矣。不亦謬乎。

二〇六 六年、「晉殺其大夫陽処父」(晉 其の大夫の陽処父を殺す)。左氏曰:「官を侵せばなり」と。左氏の此の事の始末を按ずるに、処父を罪せること、独り趙宣子を称して能と為す有るのみ。蒐を改め将を易ふこと、凡そ晉侯に出ずれば、何を以て処父 官を侵すと言はんや。人君 賢を任じて称はざれば、必ず将に敗を致さんとす。苟も禄を食む者、挙げて当に君を諫むべし。況んや処父 晉の国の太傅なるをや。事に便ならざる有り、之を言ふは□〔宜〕なり。【校1】此を以て官を侵すと為せば、是れ大臣をして拱黙せしむるなり。左氏 又 曰く、「陽子は、成季の属なり。故に趙氏に党す」と。此れ其の法を致さんと欲し、必ず官を侵すを以て汚を処父に塗るのみ。【校2】凡そ党と言ふは、其の陰私に比周し、正を以て挙げざる者を謂ふなり。若し挙げて人を失はざれば、亦た何ぞ党と謂はんや。処父の趙盾を挙げるが如き、趙盾 卒に良大夫と為る。其の賈季を退くがごとき、賈季 卒に乱を為して奔る。皆 当れりと謂ふべし。故に厚薄する所有るに非ざるなり。春秋 豈に此に忽にして之を貶せんや。如使し大臣 賢を見て挙げ、之を官を侵すと謂はば、賢を見て挙げざるは、乃ち其の職たり。亦た謬らざるや。

二〇六 六年、「晉殺其大夫陽処父」(晉 其の大夫の陽処父を殺す)。左氏は「官を侵せばなり」という。【注1】左氏の記すこの事件の顚末を検討したところ、処父を罪する理由は、ただ趙宣子を有能だと称賛したことだけである。蒐を改め、将を変えたことは、そもそも晉侯が行ったことである。【注2】なぜこれをもって処父が「官を侵した」といえよう。君主の任用が不適切であれば、必ず敗滅を招くことになる。禄を食むものは、こぞって君主を諫めねばならない。ましてや処父は晉国の太傅であれば、なおさらであろう。物事に不都合なことがあれば、それを発言するのが筋である。【校1】発言を理由に「官を侵す」というのであれば、それは大臣になにもさせぬことになる。左氏はまた「陽子は、成季の属なり。故に趙氏に党す」という。【注3】これは自分のやり方を成就せしめんがため、「官を侵した」ことをもって、処父に汚名を着せているにすぎない。【校2】およそ「党」というものは、こそこそ私的な結びつきをもち、中正の立場で人材を推挙しないことをいうのである。もし正しい人材を推挙したのであれば、それをなぜ「党」といえよう。例えば、処父は趙盾を推挙し、趙盾はついに優れた大夫となった。また賈季を退け、賈季はついに反乱を起こして出奔した。いずれも適切な推挙であったといわねばならない。含むところがあって、人材を進退したわけではない。春秋がこの点を見逃して処父を貶するだろうか。もし大臣が見知する賢者を推挙することが「官を侵す」ことになるというのであれば、見知する賢者を推挙しないことが、大臣のつとめとなってしまう。なんと誤った考えではないか。


1 「言之□矣」、四庫本同。『弁疑』作「言之宜矣」。
2 「必以侵官塗汚處父耳」、四庫本同。『弁疑』作「必於侵官以塗汚處父耳」。


1 文公六年の晉殺其大夫陽処父に関わる伝をふまえる。
2 伝には「陽処父至自温、改蒐于董、易中軍」(陽処父 温より至り、改めて董に蒐し、中軍を易ふ)とあり、晉侯の判断であるとは記されていない。「易中軍」については、公羊伝と穀梁伝に晉侯が決裁したと記されている。
3 注1の中に見える。

参考
・『劉氏伝』……穀梁伝を主にしたもの。最後に「然らば則ち処父の罪せらるるは何ぞや。処父は人臣と為りて、華にして実ならず、剛を好みて上を犯し、事を興して以て自ら名と為せば、以て其の身を殺すに足るのみ」と指摘する。
・『意林』……「晉殺其大夫陽処父」(晉 其の大夫の陽処父を殺す)。事に即て情を探れば、陽処父 罪無しと謂ふべし。而るに春秋 免ぜざるなり。以て謂へらく陽処父の自ら其の身を事とすること、未だ始めより其の死の道を得るに至らざれば、則ち其の死は不幸に非ざるなり。孔子 曰く、「人の生くるや直し、之を罔して生くるや、幸にして免かる」と。処父をして其の死を得しむるは、固り幸いのみ。豈に直の謂あらんや。子路 側に侍り、行行如なり。子 曰く、「由 其の死を得ず」と。然して盆成括に才有り、而して君子の大道を聞かず。孟子 曰く、「死なん」と。故に君子 其の身を愛し其の生を全うする者、必ず其の道に由る。其の道に由りて死さば、比干の若きと雖も、仲尼 之を仁と謂へり。其の身を愛し其の生を全うするも其の道に由らず、其の道に由らずして死さば、処父の若きと雖も、春秋 之を罪ありと謂ふ。春秋は幸にして免かるるを貴ばず。

権衡205

二〇五 五年,王使榮叔歸含且賵。王使召伯來會葬。左氏曰:「禮也。」非也。庶子為君,為其母無服。不敢貳尊者也。妾母稱夫人,王不能正,而又使公卿會之葬,何禮之有。

二〇五 五年、「王使栄叔帰含且賵」(王 栄叔をして含 且つ賵を帰らしむ)。「王使召伯来会葬」(王 召伯をして来りて葬に会せしむ)。左氏 曰く、「礼なり」と。非なり。庶子 君と為れば、其の母の為に服する無し。敢へて尊者を弐(なら)べざればなり。妾母 夫人と称し、王 正す能はず、而して又 公卿をして之が葬に会せしむ、何の礼か之れ有らん。

二〇五 五年、「王使栄叔帰含且賵」(王 栄叔をして含 且つ賵を帰らしむ)。「王使召伯来会葬」(王 召伯をして来りて葬に会せしむ)。【注1】左氏は「礼なり」という。【注】間違いである。庶子が君主となった場合、生母のために喪に服することはない。尊き者(夫人)と並ぶ存在を認めてはならないからである。妾母が夫人と称しながら、王はそれを正すことができず、そればかりか公卿をつかわして、その葬儀に参加させている。このどこが礼に適ったおこないであろう。


1 経は「五年、春、王正月、王使栄叔帰含且賵。三月、辛亥、葬我小君成風。王使召伯来会葬」の順に並ぶ。
2 伝は「五年、春、王 栄叔をして来りて含 且つ賵せしむ。召の昭公 来りて葬に会せしむ。礼なり。」という。これに対して杜預は、「成風は荘公の妾なり。天子 夫人の礼を以て之に賵す。母は子を以て貴きを明らかにす。故に礼と曰ふ」と注す。これに対して『正義』は、「伝は二事を挙げ、一の「礼なり」を以て之を結べば、則ち含賵・会葬 皆 礼を得るなり」という。

参考
『劉氏伝』……
(1)王使栄叔帰含且賵。
含とは何ぞや。口 実たすものなり。王 何を以て天無し。是れ天の法に非ずと言ふなり。是れ天の法に非ずとは何ぞや。是れ始めて妾を以て嫡と為すなり。此れ帰なり。何を以て来を言はず。帰りて来る有り、帰あるも来らざる有り。含 且つ賵を帰るは、正に非ざるなり。帰りて来らざるも、亦た正に非ざるなり。交 之を譏れり。
(2)王使召伯来会葬。
葬に会するの礼、鄙上に於いてす。葬に会し、猶ほ含を帰るなり。之を成して夫人と為せり。

『意林』……「王使栄叔帰含且賵」。知らざる者、乃ち以て謂ふ、「天子 人の妾に賵するは小過のみ、而るに之を譏ること深し。車を求め、母弟を殺すは大悪なり、而るに之を譏ること略せり」と。是れ春秋 人倫を正すの意を知るに及ばざるなり。君臣、父子、夫婦は、治の三綱なり、道 焉より先なる莫し。桓 臣を以て君を殺し、而るに王 之に命ず。成風 妾を以て嫡を僭し、而るに王 之を成す。三綱に於いて廃れり。是れ人の人たる所以を去るなり。王の天無きこと、亦た明らかならずや。古の文を為す者、三画して一 之を貫きて王と為す。一 之を貫くとは、能く天に法るを謂ふなり。苟も天に法る能はずして、何ぞ王の称あらん。

権衡204

二〇四 四年,逆婦姜于齊。左氏曰:「卿不行,非禮也。」非也。假令卿行,獨可謂之禮乎。

二〇四 四年、「逆婦姜于斉」(婦姜を斉より逆ふ)。左氏曰く、「卿 行かず、礼に非ざるなり」と。非なり。仮令ひ卿 行くも、独に之を礼と謂ふべけんや。

二〇四 「逆婦姜于斉」(婦姜を斉より逆ふ)。左氏は「卿 行かず、礼に非ざるなり」という。【注1】たとい卿が出向いたとしても、これを礼といえるだろうか。

1 伝には「婦姜を斉より逆ふ、卿 行かず、礼に非ざるなり。君子 是を以て出姜の魯に允あらざるを知りて曰く、『貴 聘して賤 之を逆ふ。君なるも卑しまれ、立つも廃せらる。信を棄てて其の主を壊す。国に在りては必ず乱れ、家に在りては必ず亡ぶ。允あらざること宜なるかな。詩に曰く、天の威を畏れ、時(ここ)に于いて之を保んずと。主を敬まうの謂なり』と」とある。
【参考】
『劉氏伝』……孰れか之を逆ふ。内の微者 之を逆ふ。逆は大夫の大礼なり、公 之を親らす。大夫を使ふは、正に非ざるなり。微者 甚だし。云々。(「大夫の」は原文のママ。不詳)
『意林』……「婦姜を斉より逆ふ」は、正始の道なり。之を待つに夫人の礼を以てせず、故に夫人 其の位を以て終はらず、国 乱れ子 弑され、強臣 命を擅ままにし、亡ぶに幾し。夫れ文公 妻子を存し世を伝ふるを欲せざる者に非ざるなり。闇弱惰慢にして、礼に率ひて行ふ能はず、以て苟若にして可と謂はば、何ぞ礼を之れ守らん。故に卒に禍に至るなり。夫婦の際は、人倫の首なれば、慎まざるべけんや。故に末を鑒み以て本を原ね、微に因り以て著を知る。又 独り文公の罪のみに非ざるなり、夫人と雖も罪有るに預れり。是の時に当たり、夫人 早くに喪娶の辱を避くる能はず、大礼を冒し以て往く。国人 皆 之を賤しみ、遂に據依する所無く、以て其の身を危うくし、而して其の子を亡すは、本 正しからざるに由るが故なり。殆うくして天に呼ぶも、亦た晩からずや。吾 此を以て之を観る、礼の人に於ける大なり。是れ存すれば則ち存し、是れ亡ぶれば則ち亡ぶ。文公の其の後嗣を保つ能はざるは、以て其の妻を刑むる無きに由るなり。夫人の其の位に安んずる能はざるは、以て礼に謹しむ無きに由るなり。此れ正始の道なり。

権衡203

二〇三 公子遂如齊納幣。左氏曰:「禮也。」則是以喪娶為禮,不亦悖乎。杜預遷僖公薨月,以就傳説。然文公此年大事于太廟,則已自除喪矣。彼尚能逆祀,何故不能於此娶乎。明此傳誤無為,歸過于經而疑之也。

書き下し文
二〇三 「公子遂如斉納幣」(公子遂 斉に如き幣を納む)。左氏曰く、「礼なり」と。則ち是れ喪を以て娶るを礼と為す。亦た悖らざるや。杜預 僖公の薨ずるの月を遷し、以て伝の説を就す。然れども文公 此の年 太廟に大事あれば、則ち已に自ら喪を除けり。彼れ尚ほ能く逆祀す、何の故に此に於いて娶る能はざるや。明らけし此れ伝 誤るも為す無く、過を経に帰して之を疑ふこと。

現代語訳
二〇三 「公子遂如斉納幣」(公子遂 斉に如き幣を納む)。左氏は「礼なり」【注1】という。つまりは喪中の婚姻を礼とみなしているのである。なんと道理に悖る発言ではないか。杜預は僖公が薨じた月を遷し、伝の学説を成り立たせている。【注2】しかし文公はこの年に「太廟で大事をおこなった」【注3】のであるから、すでにみずから喪を除いている。文公は逆祀【注4】ですら実施できるのだから、ここにおいて婚姻を結び得ぬ道理はあるまい。実に杜預の意図は明白で、伝が間違っていても何もせず、かえって間違いを経になすりつけ、経を疑っているのである。


1 伝には「襄仲 斉に如きて幣を納むるは、礼なり。凡そ君 即位すれば、舅甥を好し、昏姻を脩め、元妃を娶り、以て粢盛を奉ずるは、孝なり。孝は礼の始めなり」とある。
2 巻四の一九五条を参照。杜預は僖公三十二年十一月に僖公が薨じたと考えるので、文公元年の三月の閏月を加えると、文公二年九月で三年の喪(足かけ二十五ヶ月)が終わる。一方、経に従えば、僖公三十二年十二月に僖公が薨じたことになり、三年の喪を終えるのは、文公二年十一月(閏月を加味しなければ十二月)。なお三年の喪については、『礼記』壇弓上・孟献子禫条の『正義』を参照。
3 経の「八月丁卯、大事于大廟、躋僖公」(八月丁卯、大廟に大事あり、僖公を躋(のぼ)す)を指す。伝は「君子 以て礼を失ふと為す。礼は順ならざる無し。祀は国の大事なり。而るに之を逆にす。礼と謂ふべけんや」といい、杜預はこれを承けて「大事は禘なり。躋は升なり。僖公は閔公の庶兄なるも、閔を継いで立たば、廟の坐は宜しく閔の下に次すべし。今 升して閔の上に在り。故に書して之を譏る。時 未だ吉禘に応ぜずして大廟に於いて之を行ふ。其の譏り 已に明らかなり。徒だ逆祀を以て、故に特に其の事を大とし、其の文を異にす」と注す。ここでの「大事」は禘祭(宗廟の祭りで、先君および祖先の位牌を宗廟に納める祭り)の意。
4 逆祀は位牌の順序を逆にすること。ここでは僖公の位牌を閔公の位牌の上位に置いたことを指す。

参考
『劉氏伝』は公羊伝に同じ。
『意林』に説なし。

権衡202

二〇二 晉人宋人陳人鄭人伐秦。左氏曰:「卿不書,為穆公故,尊秦也。」非也。於經何以知其非微者稱人乎。

二〇二 「晉人宋人陳人鄭人伐秦」(晉人 宋人 陳人 鄭人 秦を伐つ)。左氏曰く、「卿 書せざるは、穆公の為の故なり、秦を尊ぶなり」と。非なり。経に於いて何を以て其の微者なれば人と称ふに非ざるを知らんや。

二〇二 「晉人宋人陳人鄭人伐秦」(晉人 宋人 陳人 鄭人 秦を伐つ)。左氏は「卿 書せざるは、穆公の為の故なり、秦を尊ぶなり」【注1】という。間違いである。経のどこを見れば、「微者であるから人といった」のではないとわかるというのか。


1 伝に「冬、晉の先且居、宋の公子成、陳の轅選、鄭の公子帰生 秦を伐ち、汪と彭衙とを取りて還り、以て彭衙の役に報ゆ。卿 書せざるは、穆公の故の為なり、秦を尊ぶなり。之を徳を崇ぶと謂ふ」とある。これについて杜預は経注で「四人 皆 卿なり。秦穆 過ちを悔い終に孟明を用ゐる、故に四国の大夫を貶し以て秦を尊ぶ」といい、これに対して『正義』は「四国の大夫 伝 皆 名氏を称へば、是の四人 皆 卿なり秦穆 過ちを悔い終に孟明を用う。仲尼 特に其の事を善とするも、辞 以て文に寄すべく無し。故に四国の大夫を貶して人と称ふ。秦の徳を尊崇する所以なり。諸侯の名 加ふべき所無ければ、大夫を貶し以て秦を尊ぶ。大夫に罪有るに非ざるなり」と敷衍する。

参考
・『劉氏伝』に伝なし。
・『意林』に説なし。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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