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どーでもいいこと

久しぶりになってしまった。

先月末に所定の用事を終わらせたので、ぼちぼちブログでも書くかと思っていたら、風邪を引いて寝込んでしまった。変な時期に寒くなったり温かくなったりするから、身が持たないな。

権衡のつづきでもはじめたいが(あと一回分残っているけど)、先の用事はまだ完全に終わったわけではないので、その余裕はやはりない。なにをしたものか。

どーでもいいこと

きづくと1週間も書いてなかったのか。ここしばらく別のことに忙しかったから、存在を忘れていたからなあ。ということで、今日もその続きで忙しいので、何か新しいことを書いている余裕はない。

が、書虫をみていると、面白そうなのが二つほどみつかったので、備忘録がてらに書いておこう。

・陽明文献匯刊(全54冊)
・李源澄集新編

陽明のはその全集とその資料彙編のようなものらしい。もちろんいらないけど、さすがにいろいろ出るものだな。李源澄のはよくわからないけど、編者が前の李源澄選集と同じなので、新発見の資料あたりを足したものか、もしくは新発見の資料だけを集めたものではないかな。よくわからないけど。

どーでもいいこと

ふう、私生活に二つのことはできないなあ。当面は権衡を休まざる得まい。後一回分だけ残っているから、こんどそれをあげて、しばらく休みにしよう。これがいいことなのか、悪いことなのかは、なんとも言えないが。


権衡210

二一〇 徐伐莒。杜云:「不書將帥,徐夷,告辭略。」非也。傳云:「徐伐莒。莒來請盟。」然則莒來告也。且徐不來告則已。苟其來告,若不稱君,必當稱將帥,豈亦自云徐而已乎。杜氏之意,固以謂從赴告而已。向者晉人戰于令狐,又何以云貶趙盾稱人哉。

「徐伐莒」(徐 莒を伐つ)。杜 云ふ:「将帥を書せざるは、徐 夷なれば、告辞 略すればなり」と。非なり。伝に云ふ、「徐 莒を伐つ。莒 来りて盟を請ふ」と。然らば則ち莒は来りて告ぐるなり。且つ徐 来りて告げざれば則ち已む。苟も其れ来りて告げ、若し君を称はざれば、必ず当に将帥を称ふべし。豈に亦た自ら徐と云ふのみならんや。杜氏の意、固り以て赴告に従ふと謂ふのみ。向者に晉人 令狐に戦ひ、又 何を以て趙盾を貶して人と称ふと云はんや。

「徐伐莒」(徐 莒を伐つ)。杜は「将帥を書せざるは、徐 夷なれば、告辞 略すればなり」という。間違いである。伝には「徐 莒を伐つ。莒 来りて盟を請ふ」という。ならば莒は魯に盟を求めてやってきたのである。また徐が盟を求めてやってこなければ、それまでのことであるが、もし盟を求めてやってきたのであれば、君の名を出さずとも、必ず将帥の名を出したはずである。使者みずから「徐」と名のることなどあり得るだろう。杜氏の考えによれば、もちろん赴告に従ったとするであろう。ならば、さきに晉人が令狐で戦った際、なぜ趙盾を貶して晉人と記したというのであろうか。

参考
・『権衡』巻五・★条参照。
・劉氏伝に伝なし。
・意林に説なし。

権衡209

二〇九 公會諸侯晉大夫盟于扈。左氏曰:「公後至,故不書所會。」非也。按經公與盟矣,何謂後會乎。杜云:「公後其會而及其盟。」此飾非之言爾。會盟同地,會所以為盟也。今及其盟,不得云後會。且盟重會輕,不當獨責其輕。又已稱公會諸侯矣,豈不及其會者乎。若實不及其會,而及其盟者,書公及諸侯晉大夫盟,乃可耳。左氏又曰:「凡會諸侯,不書所會,後也。」按:十五年會于扈,亦不序諸侯,寧復魯侯後會邪。未可以類推也。

「公会諸侯・晉大夫盟于扈」(公 諸侯・晉の大夫に会し扈に盟す)。左氏 曰く、「公 後れて至る、故に会する所を書せず」と。非なり。経を按ずるに公は盟に与かれり。何ぞ会に後ると謂ふか。杜 云ふ、「公 其の会に後れて其の盟に及ぶ」と。此れ非を飾るの言のみ。会盟は地を同じくすれば、会は盟を為す所以なり。今 其の盟に及べば、会に後ると云ふを得ず。且つ盟は重く会は軽ければ、当に独り其の軽きを責むべからず。又 已に「公 諸侯に会す」と称はば、豈に其の会に及ばざることあらんや。若し実に其の会に及ばずして其の盟に及ばば、「公 諸侯・晉の大夫と盟す」と書せば、乃ち可のみ。
左氏 又 曰ふ「凡そ諸侯に会し、会する所を書せざるは、後るればなり」と。按ずるに十五年に扈に会すも、亦た諸侯を序せざれば、寧ぞ復た魯侯 会に後るるか。未だ類を以て推すべからざるなり。

 「公会諸侯・晉大夫盟于扈」(公 諸侯・晉の大夫に会し扈に盟す)。左氏は「公 後れて至る、故に会する所を書せず」【注1】という。間違いである。経によれば、公は盟に参与しているのに、いかなる理由から会に後れたというのだろうか。杜は「公 其の会に後れて其の盟に及ぶ」という。これは左氏の間違いを誤魔化しているだけである。同じ場所で会と盟をおこなったのだから、会は盟を交わすためのものである。もし盟に間に合ったというのであれば、会に後れたとはいえないだろう。また盟は重く会は軽い。軽い方のことだけでもって責めることはできない。そればかりか既に経には「公 諸侯に会す」というのである。このどこが会に間に合わなかったといえるのか。もし本当に会には間に合わず盟には間に合ったのであれば、「公 諸侯・晉の大夫と盟す」と書けば、それだけでよいのである。
 左氏はまた「凡そ諸侯に会するに、会する所【注2】を書せざるは、後るればなり」という。さて十五年に扈に会したときも、諸侯を序列していないが、どうしてまた魯侯が会に後れたものと見なしえるだろうか【注3】。これでは類推によって経の意義を見いだすことはできない。


1 ややわかりにくいので、左氏および杜預の注(経の注)を引いておく。伝には「秋八月、斉侯・宋公・衛侯・鄭伯・許男・曹伯会晉趙盾、盟于扈。晉侯立故也。公後至、故不書所会。凡会諸侯、不書所会、後也。後至、不書其国、辟不敏也。」(秋八月、斉侯・宋公・衛侯・鄭伯・許男・曹伯 晉の趙盾に会し、扈に盟す。晉侯の立つが故なり。公 後れて至る、故に会する所を書せず。凡そ諸侯に会する、会する所を書せざるは、後るればなり。後れて至れば、其の国を書せざるは、不敏を辟くればなり。)とあり、また杜預の注(経注)には「不分別書会人、揔言諸侯・晉大夫盟者、公後会而及其盟」(分別して会する人を書せず、諸侯・晉の大夫と揔言するは、公 会に後れて其の盟に及べばなり)とある。
2 杜預の注には、「会する所を書せずとは、具さには列公侯及び卿・大夫を列せざるを謂ふ」とある。劉敞もこの意で解釈したのであろう。
3 文公十五年の伝には「於是有斉難、是以公不会」(是に於いて斉の難有り、是を以て公 会せず)とあり、魯公がもともと扈の会に参加していなかったことを記す。

参考
・正義……然れば則ち諸侯を揔称するは、皆 是れ諸侯を罪するなり。此れ諸侯を揔称し、会する所を称はざるは、公の後ると為すなり。伝 還た自ら凡例を釈して云ふ、「後れて至れば、其の国を書せざるは、不敏を辟くればなり」と。不敏は猶ほ不達のごとし。諸国 皆 在り、公 独り後れて至る、是れ公 事に達せざるなり。公の事に達せざるを辟け、公の罪を諱みて責を諸侯に帰するものなり。諸侯に功無しと言ふが若く然り。故に諸侯を貶して之を揔ずるは、公の恥を辟くる所以なり。
・劉氏伝……諸侯 何を以て序せず、大夫 何を以て名いはず。序するに足らざればなり。其れ序するに足らずとは奈何。或ひと曰ふ、蓋し宋を治めんと欲するも後 能はざればなりと。或ひと曰く、趙盾 君の位を戴き、以て諸侯に臨めば、之を悪むなりと。
・意林……「公 諸侯・晉の大夫に会し扈に盟す」。趙盾 既に内 専ら其の君を廃置し、而して又 外に諸侯に盟を強ふ。王者の法、当に受くべからざる所なり。故に斥けて之を遠ざく。陪臣 国命を執るは、漸く長ずべからずと曰ふが若きのみ。此れ其の為すを得る所に非ざるなり。

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かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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