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権衡208

二〇八 晉人及秦人戰于令狐。杜氏曰:「趙盾廢嫡而外求君,故貶稱人。晉諱背先蔑,而夜薄秦師,以戰告。」按:如此説,安知稱晉人者,非趙盾諱無信而以微者告乎。在春秋中,杜氏所注,若此者多矣。何獨至此晉人,而謂之春秋貶乎。此乃見事在可以説之域則説之,事在不可説之域則不説也。智足以紿學者矣,亦何解經之有。

二〇八 「晉人及秦人戦于令狐」(晉人 秦人と令狐に戦ふ)。杜氏 曰ふ、「趙盾 嫡を廃して外に君を求む、故に貶して人と称ふ。晉 先蔑に背きて夜に秦師に薄るを諱み、戦を以て告ぐ」と。按ずるに此の説の如ければ、安くんぞ晉人と称ふは、趙盾 信 無ければ微者を以て告ぐるを諱むに非ざるを知らんや。春秋の中に在りて、杜氏の注する所、此の若き者 多し。何ぞ独り此の晉人に至りて之を春秋の貶と謂ふか。此れ乃ち事の以て説くべきの域に在れば則ち之を説き、事の説くべからざるの域に在れば則ち説かざるを見すなり。智 以て学者を紿くに足るも、亦た何ぞ経を解すること之れ有らん。

二〇八 「晉人及秦人戦于令狐」(晉人 秦人と令狐に戦ふ)。杜氏は「趙盾 嫡を廃して外に君を求む、故に貶して人と称ふ。晉 先蔑に背きて夜に秦師に薄るを諱み、戦を以て告ぐ」という。さて、もしこの通りであれば、経に「晉人」という理由について、「趙盾に信義がなかったために、微者の所行として赴告したわけではない」と、なぜわかるのだろうか。春秋に対する杜氏の注には、このような発言が多々みられる。なぜこの「晉人」のみに対して、春秋が貶したとみなすのだろうか。これこそ口を差し挟めるものであれば口を差し挟むが、さもなくば口を閉ざすというものである。これで学者を欺くことはできようが、とても経を解したとはいえまい。

参考
・劉氏伝……「戦ひて之に及ぶと言ふは、之を主る者なればなり。猶ほ晉人 此の戦を為すを志すと為すがごとしと云ふのみ。何を以て師の敗績を言はざる。敵すればなり。」
・意林……なし。

どーでもいいこと

やはり権衡の予備がないと、更新が滞りがちだな。権衡も読み出すとおもしろいのだが、継続性がないと頭がついていかない。土日だけというわけにもいかないからなあ。

そういえば陳継儒の小品集を読む機会があったのだが、驚くほどおもしろくなかった。わたしの頭が宋代的な論調に親近感をもつ所為もあるのだろうが、どーでもいい日常生活のはなしばっかりで、おまえの個人生活などどーでもええわ、という感じだった。今でいうブログなりなんなりの記事を読んでいる感じで、今のものなら同時代だからまだしも、異世界の異時間のとなると、まったくもってどーでもいい内容だった。

とはいえ、読んだ端から忘れていったので、どんなところがどーだめだったのかメモすら書けないのが残念ではあるが......まぁ本当に興味のないものを読んだときよくある私の習性なのであきらめるとしよう。

話は変わるが、かなり古いATOKをつかっていたこともあって、windows10に完全対応できない状態になったので、しかたないから久しぶりにバージョンアップでもするか。この際、MS-IMEに変えようかとも思ったが、慣れたものの方が使いやすいのは確かだし、広辞苑辞書が使えなくなるのももったいない。

どーでもいいこと

そういえば『宋史』の列伝の最初の方を読み直してみたが、どんな戦いに参加したかはそこそこわかるものの、単なる戦役の列挙にすぎない感じがする。まぁ主だった将軍は後周の時代までに活躍を終えたという感じかな。あまりおもしろくないので、資治通鑑の唐代(代宗以降)でも読んでみたけど、さすがにおもしろいね。宋代とは違って、ちょっと力があるだけで、ぼこぼこ反乱起こるしね。ろくな時代ではないな。

唐代あたりには優秀な皇帝がちょこちょこでてきて、おかげで国が建て直ったりするように見えるが、それはそう見えるように史料に書かれてあるだけなのか、実際にそういうことなのか、判断がむつかしい。もっとも歴史なんてものはいい加減なものだから、我々が知りたいことを明らかにするのに必要なものが存在しなければ、明らかにできないことすらわからない。そんなものに力を費やす気には、ちょっとなれないな。

しかし何にせよ、なにかを必死に追い求めることができるのは、すばらしいことだな。求めるものの底が浅いとすぐ結果がでてしまうが、深く深くさらに深いものだと、盲目であればあるほど深く潜ることができる。盲目であればこそ、他人の批判にも堪えられるし、それをバネにすることもできる。まぁわたしは何事につけ、そこまで必死になれなかったということだろうから、その一事をもて推すだけでも、いかにも凡庸な人間であることは間違いないな。

どうでもいいことだが、一年ほど前にちょっと大きめのペンギンのぬいぐるみを買った。置いているとかわいいもので、キリっとした顔だったのが、見慣れてくるといつのまにかかわいい顔に変わっているので不思議なものだ。そういえばいつのころからか表情があるように思えてくるから不思議だ。ドールあたりだと、顔の角度でずいぶん表情が変わるから、表情に変化があっても不思議ではないのだが、ぬいぐるみに角度なんてないのになぁ。不思議なものだ。

ぬいぐるみで思い出したが、ぬいぐるみを大切にしていた人が死んだりすると、ぬいぐるみを一緒に焼いたりすることもあるようだが、はたしてその人はそれを望んでいるのだろうか。まぁ大切にされていたことがわかっていればわかっているほど、残ったぬいぐるみをどうすべきか、残されたものには難しい問題として残るがな。これがぬいぐるみならぬドールとかになると、ぬいぐるみのボタン目ではないだけに、よけい不気味でもあり、悲しくもあるかもしれないな。ただ経験談ではないので、時分ならどうなるかはよくわからない。死ぬ間際になれば考えが変わる可能性は大いにある。

宋初の武将

宋代初期の政治家、というか武将、というか軍人を調べようと思って、とりあえず『東都事略』や『宋史』の列伝とか、『宋人伝記資料索引』とか、その手のものをみたが、逸話の類が思ったよりも少ない。で、宋人の逸話には『宋人軼事彙編』という便利本があるので、それを調べてみても、ほとんどない。というか曹彬以降の武官には逸話が残っているが、それ以前の符彦卿とか王全斌とか、そういう頼もしい武将(民からじゃんじゃん略奪しまくる人々)の項目がそもそもない。

そういえば北宋の資料を読んでいても、曹彬の逸話は多々目にするが、五代から宋代初期に活躍した人々の逸話はあまりみない気がする。気にしていなかったから、というのもあるだろうが。やはり五代以来の武将と宋代の士大夫との間には直接的なつながりがないので、士大夫にしてみれば、五代以来の武将の伝記・逸話なんぞ書き残してやる必要はないということなのだろうか。もう少し調べてみないと何ともいえないけども。

とはいえ、正式な歴史書となると、太祖とともに活躍した創業の功臣の伝記を立てないわけにもいかず、その意味では上記の符彦卿たちも伝記は立てられているので、いかに身内びいきで悪辣な士大夫といえども、無視はできなかったのだろう。ほかの時代なんて正史に伝がなければ、あらましすらわからないくらいなんだから、それと比べれば史料が少ないわけでもなんでもないのかもしれないな。

宋は周の後を比較的うまい感じで継承したから、創業の功臣というのがわかりにくい。いないのかもしれないし、いたのだけど資料的に過小評価されているのかもしれないし、そのあたりも含めて少し調べてみよう。


おおむかし、高校生の時分、五代十国を覚えたときは、五代と十国の違いが今ひとつわからず(正統とかの区分も実感としてよくわからなかったのだろう)、その後も五代と十国と同じくらいの強さなんだろうかとか思っていたが、後になると、なるほど五代は五代でしかないのだろうな。

もちろん一度の戦争は一国の戦力が直接反映されるわけではないし、五代みたいな内乱状態だと、一度負けると国が瓦解する可能性もあるので、もしかしたら南唐が北の一部くらいは奪取できたのかもしれないけど、燕州や雲州、河北や太原の騎馬兵を南唐が防げるとも思えず、南から北を攻め落とすのは、大砲とか鉄砲が出てきたり、よほど優れた軍事的な能力でもないと、相当難しかろう。


中国のサイトで符彦卿を調べると、戦い方についていろいろ説明があった。さすがは本場だな。勉強になるなあ。いや、勉強しなくてもいいことなんだけどね。

宋史』のwikiをみると、妙な感じで記事のある人とない人が併存している。各種の分野で有名な人に項目が立っているのはわかるが、必ずしも著名とは思われない人に項目が立っていて、結構著名な人に項目がない。選別の仕方がよくわからないな。まぁ、どーでもいいけど。


ATOK2008はさすがにwindows10でつかえなかった。いや、大半のところでは問題なく起動するが、デスクトップからの検索や付箋でIMEをオンにすると、機能が停止したり、IEMがオンにならなかったりするようだ。8年も前のものだから、あたりまえだな。

どーでもいいこと

パソコンの再設定をしたら思いの外時間かかった。うーむ、セキュリティーソフトを入れると回線が遮断されてしまう。Windows10と相性が悪いのだろうか?調べないといけないが、今日はつかれたので明日にしよう。いや、明日もつかれる予定なので、ちと時間かかるかもしれないな。それにしてもセキュリティーソフトは必要悪だなぁ。

権衡をつづけようと思ったが、少し飽きてきたので(というか、継続してできなくなってきたので、頭がついて行かなくなってきた)、宋代の初期の伝記でも読むかな。符彦卿とか。わりと北宋中盤以降の資料を読む機会が多かったので、初期の連中にどんな伝記資料が残っているのか、すぐ頭に出てこない。彼らが建国の功臣にふさわしく暴力的で金銭と名誉に貪欲で、かつ弱者に冷たいことは記憶にあるのだが............

三国志13は荒れてるな......三国志は小学生のときに興味をもって吉川英治の小説をよく読んだし、ゲームもやった記憶はあるが、時間が経つとともになんとなく遠ざかってしまった。が、一回りしたのか、なんとなくまた三国志もありかなと思うようになってきた。祖先帰りなのだろうか?

三国志ゲームの人気の理由を調べてみると、他の時代も面白いのがあるとの意見がちらほらあるな。それは間違いではないと思うし、単に戦争であれば、戦国時代でも、魏晉南北朝でも、唐末五代でも、明末清初でも、それなりのおもしろさはあると思うが、はやらないだろうなぁ。個人的には後周の世宗か真宗あたりで契丹と戦ってみたいけど、世間はそうは思わないだろう。

三国志の時代は100年あまりで、2~3代にわたり、個人の人生では終わらないが、さりとて5~6世代にもわたることもなく、ちょうどよい時間に思える。八王の乱から隋までとなると300年くらいあって、とても系統的に人物中心には扱えないし、五代は短かすぎて1代で終わりかねないし。戦国時代は著名な幾人かを除いたら、無名の兵士と将軍の戦いになるので、いわゆる三国志のゲームのような人間中心の英雄譚的なものにはならないだろうし。

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Author:awatan
HN:江藤清通
かつては春秋学・宋代史・南学(秦山関係)関係の記事を中心に書いていました。最近は開店休業状態で、数ヶ月おきに思いついたことを書いてます。

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